1/15/2012

その銘器…グッドヴァイブレーション?(後編)

さて前回のエントリーではヴァイオリンを例に取って考えてみたが、今回は所変わってオーディオシステムについて
考えてみたい。ともすれば「オカルト!」とも揶揄されがちなオーディオ道。その道のりは険しいものだと云うが…
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「音が変化した♪」とは
オーディオシステムのハード、又はパーツやアクセサリーを交換した時に
「音が変化した♪」と感じた場合、その原因として考えられる要素として

◆実際にその対象の物理的特性が変化する場合◆
◆それ以外の条件(視聴位置、湿度や温度、その他音響特性)が変わる事による場合◆
◆聴き手の意識の変化、先入観による錯覚◆

等が挙げられる。またオーディオファンが議論を展開する場合、大抵は自らの主体的体験
を元にその原因を全て1番目の事例に当て嵌めてしまう癖がある。視覚と比較した場合、
聴覚は「主体≒客観」の幅が増大するにも関わらず「主観=客観」としてしまう例が多い。

レコーディングした演奏をミックスダウンする時、自室でオーディオ・システムを色々と
いじくり回した経験のある方は多いと思うが、それらの場合は上記の事例に更に上乗せして、

◆殆ど差異の無い物を聴き比べた場合、後に聴いた物の方が良く聞こえる法則◆
◆何もしなくても時間の経過と共に音が良くなる法則◆
(短期的には熱的安定、また長期的には巷でよく耳にする" エージング ")
◆微細な違いを判定しようとする事により、却って良否の判定が困難になる法則◆
(色々聴きすぎて所謂" 耳バカ "状態に陥ってしまう)

これらを経験した方は多いと思う。評論家の故、長岡氏も「オーディオ誌のケーブル試聴
等では、必ず安い製品から高い製品へと聴き比べて行き、最後の頃には訳が分からなく
なってくる。値札を取ってバラバラの順番で聞いたら別の結果も出てくると思うが、
そういったテストは今までに一度もやったことが無い」と書いていた。らしい。

そして、最後に提示する要因が一番厄介な代物なのだ。
◆先入観その他による" プラシーボ効果 "が入り込む◆

こう云った事まで考えた場合、一概にその音の良し悪し
等を判定する事の不確かさは計り知れないものがある。



貴方は「違いの判る男」か
仮にこのエントリーを読んでいる貴方が" CDを冷やすと良い "" ギターの弦がヘタったら
熱湯で煮るべし "といった屈託の無い噂に始まり、バカ高いオーディオシステムには必ず
付き物の難しげな物理的特性や理論を展開し如何にも科学的であるかの様な大仰な宣伝文句、
知り合いによる" 耳寄りなクチコミ "、更には権威ある人物や雑誌の推薦文etc...に一切
惑わされずに居られる自信があるとしても──────────────額に差こそあれ、知らず知らず
の内に無駄な徒労や高い買い物を強いられる結果となっている可能性は否定出来ないだろう。

音以外の先入観、つまりブランド(権威)、金額、触込み、難解な物理的論理etc.」が
貴方の音に対する良否の決定を司って(又は鈍らせて)しまう事が往々にして有るのだ。


喩え専門家であっても、現代の最高級品のヴァイオリンとオールドマスターを聴き比べた場合、
「何かが違う」と感じる能力よりも「両者の良し悪しを判別する能力」は遥かに低くなる。

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イタい事例2種?からの考察


自称オーディオマニアを一堂に集め、ブラインドテストをすると予告をせずに音楽を聴かせた。
その際、聴者に気づかれないよう隠れてスピーカーケーブルをン万円也/mの超高価な図太い撚り
線とAE1.2銅単線(100円/m)を交互にすり替えて聴かせた所、誰もその差異に気付かなかった
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海外の掲示板goldmund ripoff - pink fish mediaで、投稿者の写真掲載によりゴールドムンド
(Goldmund :スイス・ジュネーヴの超高級オーディオメーカー)の一台140万円のユニバーサル
プレイヤーの内部パーツが公開され、市場実売価格1万4000円のDVDプレイヤー(パイオニア社製)
がほぼ流用されている事が指摘された(その機種を高級オーディオ雑誌「ステレオサウンド」は
『静かな音場にふくよかで、しかも輝く音色が浮かび上がった』と評したと云うオマケ付き)

【ゴールドムンド紹介サイト】 【パイオニア社製品紹介ページ】




この2例は音楽愛好家の間では随分と話題になった様なので、何処かで耳にした方も居る
と思うが、人間は音を必ずしも「耳だけ」で聴いていない事が有るという好例だと思う。

耳はあくまでも聴覚システムの入り口に過ぎない。
問題はその後に続く脳内での膨大な情報処理の段階で、音の良し悪しの決定を
鈍らせるに至る落とし穴が巧妙に手招きしているのだ、とは言えないだろうか。

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騙しか、工夫か
プレイヤー達による創意工夫も忘れてはならない。音による錯覚、とまではいかなくても
「そんな風に聞こえさせたい」とする願いは楽器の奏法上でも昔から様々な試みがされてきた。

バロック時代の楽器(音が伸びない)や、単音しか鳴らせない楽器がトレモロ奏法をする事、
トリル等の装飾音、ピアノでブルーノートを表したいに用いる前打音、ドラムのロール等々。

また昔に比べてAの音が上がって行き、仕舞いには上がり過ぎた為に1939年にロンドンで行わ
れた国際会議で 440 Hz とされた件や、協奏曲のソリストがほんの少しピッチを上げて調弦
する事実。この2例は" 音を煌びやかに聞かせたい、浮き上がらせたい "事によるものだ。

今では当たり前になった奏法の中にも、錯聴を巧妙に利用した提示方法が溢れている。
逆に言うと、本来の目的を考えず安易に用いる奏者が多いような気がしないでもない。

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音(演奏含む)の場合、その対象を耳にした時に" これはスゴい! "とか" 迫力があるなあ "
とか、兎に角その人の琴線に触れるモノを感じ取った時に、心が動く。ちょっと乱暴だがこれら
の対象を「アート」と呼ぶ場合、その心象を呼び起こす物(ヴァイオリンを始めとするありと
あらゆる楽器、レコードやCD等の音源、その音源を自分に心地よく提示してくれるオーディオ
システムやスピーカーケーブル等)を手元に置きたいと願う、それが貨幣価値に繋ってゆく。

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「そもそも論」に立ち戻って考える
では、そもそも「良い音」「良い演奏」の実態とは一体何だろうか?
音楽が人に因って初めて奏でられて以来、より多くの人々が「良い」「好きだ」と評した音
なのだろうか?それとも、「この道にこの人アリ」と謳われた名演奏家や定評のある者が音
の歴史の中で「良い音」と定めた音こそが本当に「良い音」「良い演奏」なのだろうか?

どの音を、どの演奏を素晴らしいと思うかは、結局のところ其々の好み(=感性、趣向)
に因る。元々素晴らしい音や楽器や奏法があるのでは無く、その音楽を" 素晴らしい "と
「感じる心」が存在するだけなのではないだろうか。。

更に言えば、その良否の判断に" 触れ込み "や" 文化的価値 "や" 歴史的背景 "等の
脳への刷り込みが有っても無くても、それはドーデモヨイのではないだろうか。上に挙げた
様に、要は各自の主体的体験を客観的事実であるとして語らなければ万事OKなのである。

テレキャスだ~って、 オカリナだ~って、
ストラディバリウスだ~って~、

みんな みんな 楽器なんだ 友だちな~ん~だ~♪

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最後に…
ストラディバリウスに端を発したに2週に渡るエントリーに相応しいニュースをご紹介。

" 文化庁文化部芸術文化課所管の公益法人 "という権威バリバリの団体である日本音楽財団
はストラディバリウスを始めとする数々の「銘器」を所有している事(日本音楽財団所有楽器一覧
でも有名なのだが、その団体が半年程前に3月の震災を受けて震災復興の一助となる様、
所有するストラディバリウスの中から一丁を売却して日本財団に全額寄付したのだ。

その額11億6971万6332円也…凄い額だ(下世話なネタですみません)
これが現代のクラシック音楽界の底力なのだろうか…

あれ、寄付された側の日本財団は今年の3月末迄の名称が財団法人日本船舶振興会。
かの故・笹川良一氏の三男が会長を務める団体だ…

イヤイヤイヤイヤ!下手な刷り込みや下衆の勘繰りはこの辺で止めておこう。
ストラディバリウスさんも天国で微笑んで居られるに違いない。

…きっと♪