10/25/2009

~Interlude Ⅷ~ 『 恋のゆくえ 』 『 Adios Nonino 』 『 その男、Yves Montand 』

◆ 3つの独立したショート・レビュー



映画 『 恋のゆくえ / The Fabulous Baker Boys 』 (1989/米)
1947年の古い映画に『 ドーシー兄弟物語 』という作品がある。30年代から50年代のスイング・ジャズの全盛時代に活躍したビッグ・バンド。その中のひとつであるドーシー楽団を率いたトミー・ドーシーとジミー・ドーシー。彼らの成功の道のりと兄弟の確執を描いた伝記物語である(大胆にも本人たちが主演)。作品の性格上多くの演奏シーンが全編に渡って繰り広げられている。                                                                  

中でもナイトクラブの場面で伝説的ピアニストのアート・テイタム(1909-1956)本人がソロとジャムセッションを披露している。驚愕とも神業とも呼ばれる演奏テクニックの持ち主で、唯一の出演映画作品としての貴重な映像は一見の価値があると思う。後のオスカー・ピーターソンに多大な影響を与えホロヴィッツに感銘をもたらした…と云われることからも彼の演奏家としての位置付けと功績が窺い知れる。その『 ドーシー兄弟物語 』原題は『 The Fabulous Dorseys 』という。                                        

本題に入ろう。映画『 恋のゆくえ"ファビュラス・ベイカー・ボーイズ "』は腕は確かなのに何故か売れない兄弟のピアニストの物語だ。子供の頃から一緒に弾き始めた彼らはプロとして各地を巡業するも,およそ成功とは無縁で気がつけば年齢も中年に差し掛かっていた。そんな二人の元にミシェル・ファイファー演ずるチャーミングな女性歌手が加わり事態は好転して、たちまち売れっ子に・・・                          

タイトル以外にもかつてのハリウッド映画から着想を得たのだろうか。例えば、映画の中盤での巡業先の豪華ホテルのバルコニーの場面はキム・ノヴァク主演の『ピクニック』(1955)を偲ばせる。──ベニー・グッドマンの"ムーングロウ"が静かに流れる中、お互いに躊躇しつつダンスをし始める男女・・・やがて恋の芳香に包まれたように二人の距離は抱擁へと変わる──と。曲目,俳優,演出と三拍子揃った印象深いシーンだ。また全編に渡るスタンダード・ナンバーの選曲にも細かな気配りがされた作品だろう。                                     

監督 スティーヴ・クローヴス Steven Kloves
製作総指揮 シドニー・ポラック Sydney Pollack
音楽 デイヴ・グルーシン Dave Grusin
出演
ミシェル・ファイファー Michelle Pfeiffer
ジェフ・ブリッジス Jeff Bridges
ボー・ブリッジス Beau Bridges


text and traced by【 gkz 】



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" Adios Nonino "

LIVE AT THE MONTREAL JAZZ FESTIVAL
Astor piazzolla y su quinteto


1959年10月彼の父:ビセンテが他界し父に捧げたレクイエムです。



嘘だと思った。

父の視線は病院特有の空気を見つめると言うか、ただ... 。
記憶がバイオリンのメロディと共に過ぎ、

思えば父にこれと言って怒られた記憶 がなく
楽しい思い出しか見つからない。

バンドネオンの自由で力強い即興的な演奏が始まる【カデンツァ】

何回かの季節が経つが父が居ないという実感はない。
食卓のイスも変わらず同じ脚数。
あの時の少年も青年へと変わり少しずつ父と同じ歳に近ずき

「こんな時父と何を 語るのだろう?」と考え…

「ああ、父は其処にはもう居ないのだ。」
そう彼は初めて「父が其処にはもう居ないこと」を実感する。

独奏楽器(息子)とオーケストラ(父親を含む家族)。

家族の支えなしでの息子の自立した人生が始まる。
しかし、「家族の支え」という概念を抜きにして「自立(独奏)」は有得ない。
素晴らしい独奏も、バックのオーケストラの「無伴奏」が無くては成立しない。
この関係は家族の関係にも当てはまるものと思います。


ブエノスアイレスではジャカランダが息子の自立を祝うかの如く、
その濃さを増 していく時期でした。
ジャカランダとは亜熱帯地域に生息する「西洋の桜」と呼ばれる樹木で、
花(赤 紫)が咲くのは初夏の5月からですが、
南半球のブエノスアイレスでは日本とは逆 の10月頃から咲く花です。

息子:ピアソラが彼の父:ビセンテの歳とが逆転した時、彼がどの様な思いで
こ の曲に接し演奏したか?とても興味深いです。


text by 【 DJ 】



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その男、Yves Montand



映画『モンタン、パリに抱かれた男 / Montand Le Film 』は、イヴ・モンタンのリサイタル映像と共に 彼の政治的信条(彼は始め熱烈な共産主義であり親ソ連であったが後に転向する)から私生活、また数々の恋愛遍歴までもが克明に記された極めて内容の濃いドキュメンタリーフィルムだ。

彼の音楽に対する真摯な姿勢は、リサイタル間近のリハーサル・シーンで明らかになる。 カメラが回っていることに全く頓着せず、伴奏者達に向かって細微なアーティキュレーションや テンポの狂いをビシビシと指摘する彼の立ち居振る舞いはまるで厳格な教師のように容赦無いが、その成果は一分の狂いも無い完璧なショーによって見事に結実しているのがよく分かる。

伴奏者たちは終始薄い緞帳の向こう側で演奏し、彼はただ一人で舞台の中央に立つ。 他にセットの類は一切無く、彼自身も極めてシンプルな黒いシャツ姿で歌い通す。 ある時は軽妙に、ある時は哀愁を漂わせ、また驚くほどになまめかしく歌う彼の表情。そして隙のない身のこなし。観客達は誰一人としてその前に繰り広げられていた厳しい音合わせを想像出来なかっただろう。 彼一流のエスプリに富んだ佇まいは"伊達男"そのもので、見る人を魅了して止まない。

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ここで、3つの"枯葉 / Les feuilles mortes"の映像を紹介したいと思う。

ひとつ目は20代の頃(だと思う)に撮られたもの。確かに歌は上手いがまだまだ線が細く、如何にも"若い!"と思わせる映像だ。
Les feuilles mortes Ⅰ

ふたつ目は40代の頃(だと思う)に撮られたもの。"恋多き男"として、モンローを始め名だたる美女たちと浮名を流した頃の彼の姿は確かに色っぽく、当時のご婦人方が思わずときめいてしまったのも頷ける…ような気もする。
Les feuilles mortes Ⅱ

最後は、60歳を迎えた彼がパリのオリンピア劇場で歌った映像。それまでとは違う次元の説得力や素晴らしさは、とても自分の筆力では書き表せない。かつての恋人ピアフが人生最後のステージを行った場所で、彼は演出や誇張を脱ぎ捨てた"枯葉"を歌い、頂点を極めた。
Les feuilles mortes Ⅲ



最初の映像から… 約40年間。

これほどの"枯葉"が歌える迄に、
彼はこの曲を一体何回位歌ってきたのだろう。

夥しい数の映画出演やアルバム発表の傍ら 自ら政治活動に身を投じ、
数々の恋愛に身を窶し、長い回り道や苦い経験を経た人間だからこそ、
初めて到達し得る境地なのかも知れない。


 "   その曲は まるで僕達のようだね
    君は僕を愛し 僕は君を愛し
    しかし 時に人生は その愛をも分かつのだ
    静かに 音も無く    "


    (“枯葉”意訳:電気羊)


text by 【 電気羊 】