1/11/2011

馬鹿のメッキを施して




一時期、幇間について詳しく調べていた時期があった。

幇間とは俗に言う『太鼓持ち』。
戦乱の世から現在に至るまで連綿と繋がる古い職業だ。
鮮やかで時によって滑稽な芸を以って客人をもてなすという職は、
古典的なエンターテインメントとしてもっともっと評価されて
然るべきではないかと強く思ったりもする。

" Entertainment (エンターテインメント) "
この言葉の語源を探ると動詞の" Entertain "には" もてなす・歓待する "
という意味があり、更には"enter-(中に)"と"tain(ラテン語のtenere=
保つ・維持する)"の組み合わせで出来ているであることがわかる。

またシェークスピアは、エンターテイメントについて
自身の喜劇作品『ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry
Wives of Windsor) 』の中でこう書いている。

"I think the best way were, to entertain him with hope"
(最もいい方法は、彼を希望で“引きつけること”だと思う。)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

アナヨル的視点を持ってEntertainmentの成り立ちと米音楽史を見渡してみると
すぐに思い浮かぶのは1920年代~にアメリカの映画界で大活躍したマルクス兄弟
(Marx Brothers)の長男チコ(Chico) や次男ハーポ(Harpo)両人が劇中で魅せる
ピアノやハープの絶妙な演奏シーンだ。これらも又、日本の幇間という職を連想させる。

また同様に心に留めておきたい人物の一人は、フェルディナンド "ジェリー・ロール"
モートン(Ferdinand "Jelly Roll" Morton)だ。名からも判るように彼のピアノ人生の
根幹を成す場所はニューオーリンズのストーリーヴィルにある春街。当時名の売れた
売春小屋には名うてのピアニストが必ず居て、御姐さん方やそれを目当てに押しかける
客達を和ませ、楽しませていたのだという。

その様子は最早画像ではなかなか残っていないが、辛うじて映画の中で偲ぶ事が出来る。
1976年ルイ・マル監督のアメリカ進出第1作目『プリティー・ベビー(Pretty Baby)』だ。


映画 『 Pretty Baby 』


映画の舞台はとあるニューオーリンズの売春宿。時代もジェリー・ロール・モートンと
同じ位の20世紀初頭だ。この売春宿の居間にも、いつも皆から「教授」と呼ばれている
黒人のピアニストがラグをゆったりと軽やかに弾いている。

お洒落な格好と物腰、そして一流の芸をそれと気づかせないようにさらりと
こなす身のこなし。後に彼の役どころがジェリー・ロール・モートンへの
オマージュそのものだった…と知ったが、全く違和感を感じなかった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

最後に、幇間の話に戻ろうと思う。幇間は芸人の中でもとりわけ難しい職業で、
「バカをメッキした利口」でないと、務まらないといわれるそうだ。 噺家が舞台を
「高座」と云うのに対して、幇間はお座敷を「修羅場」と云うのだという。
決してそれと悟らせない一流の芸は、弛まぬ鍛錬によって支えられている。

そう考えると少し後の時代に出てきた火の玉親父ジェリー・リー・ルイス
(Jerry Lee Lewis)を初めとするサービス精神に溢れた様々なピアニスト達や、
更にはP-FUNKの面々にも幇間に繋がる「バカをメッキした利口」を感る。

特にP-FUNKメンバーに関して言えば、彼らの一見どぎついコスチュームや
奇天烈なコンセプトに閉口する方も多いかもしれない。が、彼等一人一人の
音楽観や音に対するこだわり、又テクニックは確かなものであると思う。

勿論彼等の音楽は様々な動機や手法、嗜好が渾然一体となり輝きを放っているのだが
こんな切り口で見る事も出来るんじゃなかろうか、と一人勝手に思ったりもする。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

音楽の種類にも色々あって、時に人を楽しませ寛がせながら魅せる音楽もある。

仕事でピアノを弾く際には、いつもチコやジェリー・ロール・モートン等、
彼らが育んだ精神を受け継ぎ、かくありたいと願いつつ、又シェークスピア
が書いた 「希望で人を惹きつける」音楽を奏でられたらと思いつつ…
夕闇が迫る頃、また店のピアノに向かう毎日を送っている。