4/25/2010

赤坂真理 著 短編 『 響き線 』


赤坂真理 『 響き線 』
/ Mari Akasaka's short novel " HIBIKISEN "


” 私の指が、鍵盤を強く叩いて瞬時に高く舞う。

瞬間、はねたリズムの1フレーズが音の隙間に決まる。
わずかな隙間を見つけて、メロディやリズムをすかさず突っ込む。
つめこみ──フィルインとはよく言ったものだ。

自分の手が描く、白い残像を目で追う。そこに弟がいる。

弟の背中。大きい。そして視線より少し先に、長いベースのネックが回る。
ライトを照り返す糸巻きのきらめき四つ。・・・視線が合う。

私たちはアイコンタクトをとる。似た形の目。
弟はうなずく。指は動き続けている。
その指を見ていると、胸がざわつく。

体が揺れる。意志ではない。なぜ動くんだろうと思うと、不意に涙が出そうになる。
私が振動しているのか、白い指の動きが音のうねりと連動する。
それは私の内にあって、忘れ去られた古い音。

心拍数が上がって、リズムが走りそうになる。 ”

~『響き線』より抜粋~


【 short novel " HIBIKISEN " 】

2003年「群像」一月号に初出された赤坂真理の短編『響き線』。
(上のイラスト画像はあくまでも架空のイメージです…)

冒頭部、ジャズのインプロヴィゼーションの記述から始まり、それとともに俄かに意識される感情。
主人公の内面の不穏さが立ち上がる描写はとてもセンシティブでスリリングだ。往年の栗本薫の小説
「キャバレー」にも通ずる、演奏という行為自体を上手く表現した文章ではないかと思う。

物語は三歳からピアノのキャリアがあり、音大を卒業してリサイタル経験があるという女性が主人公だ。
彼女は内心の声を隠匿したまま大人になるまで生きてきた。その実、
過去と現在、隔てられた時間や空間といったものに心は混乱しているのだ。

そして、彼女には8歳年下の弟がいる。こちらはベーシストで、それまでジャズには門外漢だった彼女を
ホテルでの生演奏の仕事──その助っ人という事でバンドに誘い物語は進んでいく・・・


” 私の髪の毛が、響き線に触れる。頭がゆっくり下ろされていく。
遠ざかる響き線。スタジオの壁の、規則的にうがたれた小さな穴。
小さな空間の中に私はピン止めされたように動けない。 ”

~『響き線』より抜粋~


顧みられることなく彼女の躯に蓄積したもの。孤立した世界。
それらすべてがジャズの生演奏、バンド演奏のアンサンブルによって掘り起こされ、
とりわけパルスと振動、低音を司るリズム隊によって覚醒され目を覚ますのだ。

慈愛と欲情の間を彷徨い、愛に傷つき、ついには溶け合う。そんな女性像が生々しく、
そして、男性の視点に立って付け加えるならば…少々刺激的に描かれている。


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ひびきせん──響き線とはスネア・ドラムの裏に張り付いている金属で出来た共鳴用のワイヤーのこと。
通常はスナッピーと呼ばれスネア独特のアタックの効いた、あの乾いた音にとってはなくてはならない物だ。
スネアの外枠に付属しているレバーでもって響き線の張力を緩めると、皮からワイヤー部が浮いて音は劇的に変わる。*
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text by 【 gkz 】


参考資料
『 彼が彼女の女だった頃 』 赤坂真理 著 講談社