4/12/2009

"Cu Ru Cu Cu Paloma" "Журавли" "山河ありき" そして…



メキシコ発の『 Cu Cu Ru Cu Cu Paloma 』、
ロシア発の『 Журавли 』、
そして、日本からは『 山河ありき 』。

この3曲。
Keyやリズム、様式、時代背景や言語、大陸すら、違う。
しかし"人々のある願いが託されている"という点で繋がっている。
《歌詞》を通して考えてみようと思う。


・・・・恋に破れた男・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『 Cu Cu Ru Cu Cu Paloma 』

作詞・作曲:Tomás Méndez(トマス・メンデス)
歌 : Harry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)
「Belafonte at Carnegie Hall」(1959)より
発売 : RCA(国内盤 BVCP-8713)


彼は夜毎、ただ泣くだけだった
何も食べず、ただ 酒に浸って
彼女を想って苦しみ 彼女を呼び続けた彼
歌い、うめき、そして死んでいった彼

また鳴いてる いつもの軒先で
何も食べず 鳴き続ける鳩よ
ああ、その鳩は 彼なのだ
いまだに彼女が戻ってくるのを待っている
ククルクク、鳩よ  ククルクク、もう泣かないで
(かなり抜粋訳:電脳羊)


" Paloma "は、鳩。
この曲はメキシコに伝わる舞曲『ウアパンゴ(Huapango)』を下敷きに作られている。ハリー・ベラフォンテのヒットがきっかけで世界に広まっていった曲だが、最近ではペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)監督作品の『トーク・トゥ・ハー(原題:Hable con ella)』やカエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)を通じて知った方も多いと思う。

Caetano Veloso - Cucurrucucu Paloma
http://www.youtube.com/user/anayoru



・・・・遙かな土地で倒れた兵士・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『 Журавли 』

作詞 : РАСУЛ ГАМЗАТОВ
(ラスール・ガムザートフ Gamzatov Rasul)
作曲 : Ян Абрамович Френкель
(ヤン・フレンケリ Yan Abramovich Frenkel)
歌 : 山之内重美
「祈り ロシアの愛唱歌」(2004発売)より
発売 : ふくろうレコード(OWLA-10005)


わたしは ふと思う 
とおい異国の地に傷つき 帰らぬ兵士たちは
いつしか白い鶴になったのだと

鶴は昔も今も 訪れては声を交わす
切ない気持ちは そのためなのか
わたしは 声も無く 空見上げる

日暮れの霧の空を 渡り鳥たちが飛んで行く
あの列の中の隙間は わたしのための場所

わたしもいつか 鶴となり  青い夕靄を飛び立つのだ
大空へ 鶴の言葉で  世の人々を偲びながら
(かなり意訳:電脳羊)


" Журавли "は、鶴。
コーサカスの吟遊詩人ガムザートフは広島の原水爆禁止大会をきっかけにこの詩を書き、これを知った歌手のマルク・ベルネスの依頼で出来た曲だが、ロシアではこういう言い伝えが以前からあるようだ。

日本では、うたごえ運動華やかなりし頃にダーク・ダックスが唄い有名になった曲だそうだが、私の場合は縁あって山之内重美さんと一緒に仕事をした折、彼女にこの曲を教えて貰った。以来 幾度か彼女と仕事をする機会があったが、その度に「この曲、演ろう!」とせがみ、弾かせて貰った。

この時代にソ連を生きた表現者たちは一様に政府の抑圧を受け苦しんだが、ベルネスの場合はそのソフトな歌い方がソ連文化省に「軟弱」と非難され、それ故に(!)歌手活動を停止させられるという憂き目に遭っている。
ともかくはベルネス本人の歌声を聞いて貰いたい。


Журавли - Les Grues - The Cranes
http://www.youtube.com/user/anayoru


(MTV世代以降の方には「ナンノコッチャ!?」的な映像かも知れないが、当時の時代背景を偲びながら観ると「あぁ、なるほどね…」と思って頂ける…かも)


・・・・約束を果たせなかった女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『山河ありき』

アルバム『浅川マキの世界』より
作詞 : 寺山修司  作曲 : 山本幸三郎
発表 : 1970年 9月5日
発売 : 東芝レコード(EP-7767 )


うたを忘れて ひとり 死にに帰る あおい あおい
あおいふるさとの山河は 今も変わることなし

あの日 嫁いで行くと決めたひとが 今も 今も
今もひとりで待っている 夢もむなしく 消え果てて

死んで 鳥になって あなたの上の 空に 空に 
空に行きたいの せめてもの あの日のお詫びに



寺山修司が『カモメは飛びながら歌を覚え、人生は遊びながら年老いていく』と呟くテレビコマーシャルがyoutubeにアップされていた。

JRA CM 寺山修司
http://www.youtube.com/user/anayoru



CMやこの曲以外にも彼の作品の中には鳥がモティーフとしてたびたび登場するが、…なにか意味があるのだろう。特にこの「山河ありき」の歌詞には彼が持つ少女的なファンタジィと故郷の原風景へのこだわりが交じり合っているように思う。

この歌の中、マキは何の鳥に姿を変えようとしているのだろう…カモメか、カラスか。。いや、やはり寺山修司の故郷青森に飛来する鶴だろうか


《 ひとは儚くなると姿を変え 愛しい人の元へ還ってくる 》という死生観は大陸を超え、信仰を乗り超えてなお共通する哀しい願いである。そして《 夭折した魂は浄化し、天に昇ってゆく 》という半ば原始的な畏怖が『鳥』という生き物に繋がっているのだろう。


・・・・『人間』になりたかった魂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『 Солнце 』

(The Sun 邦題:太陽)
監督 : Александр Николаевич Сокуров
(アレクサンドル・ニコラエヴィッチ・ソクーロフAleksandr Nikolayevich Sokurov)
ロシア・イタリア・フランス・スイス合作映画 (110min.)
日本公開 : 2006年8月5日
主演 : イッセー尾形




最後に、映画『 太陽 』について少しだけ書いてみようと思う。

未だ「菊タブー」という幻想に自ら手足を縛られている日本人が多い中《 ロシア人監督が描く終戦時の日本と裕仁天皇 》という点で注目された作品だが、前述のベルネス同様、圧政下で時の権力との確執に苦しみ生命の危険を賭して作品を作り続けたソクーロフにしてみれば それ程禁忌的な題材では無かったのかも知れない。実際に映画館に足を運び観たが、内容もさることながら彼独特の映像感覚が持つ凄みのようなものに惹き込まれてしまった。

ソクーロフは途中、鳥をメタファーとして使っている。裕仁天皇と、皇居に飼われている鶴を一つのフレームの中に同時に登場させ、皇居の中に囚われた立場を「自由を乞いながらも自らは逃げようとない存在」として表現していた。

ラストシーン。エンドロールのクレジットも全て流れ終わったあとに、カメラは超ロングショットで雲と焼煙に霞む東京(レビュー冒頭の画像)を映し出す。濃密な110分間に見入り、そのじっとりとした余韻に少し疲れた脳と目には最初分からなかったが、その映像が2、30秒間隔で目立たぬように繋ぎ合されていることに気がついた。

目を凝らすと…  やはり。見つけた。
囚われていたはずの鶴が大空にフワリと舞い上がり、
スクリーンの片隅で何度も何度も旋回し続けていた。