5/24/2009

~InterludeⅢ~ 『人間の証明』 『I Waited For You』 『Heliotrope Bouquet』


~恩寵なる人証~
『 人間の証明 / Proof of The Man 』(1977)


“ 太陽は良い人      
 そうでない人の区別なく頭上を照らし
 雨は正しい人      
 又そうでない人にも等しく恵みを与える ”

                     マタイ伝5章45節より

【人間の証明】
大正叙情の児童詩に追憶への旅を誘われ回想される過去。
~GHQ・進駐軍の占領(1945~1952)~
時代の風に翻弄される人々。
      
“ストーハ”で通じる世代には懐かしくもある
戦後日本の負の遺産を描いた愛憎劇。

・・・・・

【ぼくの帽子】
『 母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ 』

                   西條八十
      
西條八十が大正時代に発表した児童向けの原詩は
元々は叙情的な追憶が表現されていた。

【主題歌Proof of The Man】
占領下の混乱により生き別れてしまった
母への思慕や喪失の想いを付け足していくことで
映画テーマに相応しいバラッド(譚詩曲)が生まれた。
      
ジョー山中、1946年生まれ。
帽子に投影されたのは自身の姿であり
失った絆なのだろうか…
山の断崖で独り谷底を見下ろすように
声量いっぱいに高域を振り絞るように歌われる。

【国境を越えて】
映画『人間の証明』は1980年代の中国でも
『人証』のタイトルで公開され
一千万人以上が観たといわれる。
尚、ジョー山中が歌う主題歌は『草帽歌』の名で親しまれてる。
 
・・・・・

【ボクシングに生甲斐を求めた男】
カシアス内藤、1949神戸生まれ。
山中と同じ境遇で褐色の肌を持ったボクサー。
無敗のまま元日本ミドル級&東洋太平洋ミドル級チャンピオンに。
世界を嘱望されるも一時表舞台から姿を消す。
      
沢木耕太郎の著作による
スポーツ・ドキュメンタリーの傑作「一瞬の夏」に、
ブランク後の1979年の王座再挑戦の様子が描かれている。必見


text and traced by
【 gkz 】




" I Waited For You "

~待ちぼうけ~
DIZZY GILLESPIE WITH STRINGS CLEF Records(MGC-136)10inch






この曲はディジーがパリを訪れた際録音されました。
アルバムはスタンダードな曲が中心ですが、彼の性格同様ユニークなメロディが印象的です。


text by
【 DJ 】




" Heliotrope Bouquet: A Slow Drag Two-Step(1907) "
Scott Joplin and Louis Chauvin
… ヘリオトロープ・ブーケ …


スコット・ジョプリン(Scott Joplin 画像:左)。
「ラグ王」としての名声は今なお廃れることなく、
アメリカ音楽の礎としての地位は揺ぎ無い。
彼の音楽的素養は幼い頃から施されたレッスンの賜物であり、
ジョージ・R・スミス大学 (George R. Smith College:黒人の為の大学)で
音楽のコースを受講する等、彼を取り巻く環境は当時の黒人としてはかなり
恵まれたものだったようだ。

片や、ルイ・ショーバン(Louis Chauvin 画像:右)。
インド系・スペイン系・アフリカ系アメリカンの血を引くクリオールであった彼は
セントルイスで「ズバ抜けた、凄腕のラグタイマー」としての地位を築いていた
そうだが、ジョプリンとは違い正式な音楽教育を何一つ受けたことが無く、
楽譜とは無縁の生涯を送り、ピアノ・ロールを含め その演奏を偲ぶ音源は何ひとつ残ってはいない。


当時 ラグ・タイマーの主な仕事場はサロンや売春宿であった。二人が出会った頃のジョプリンは既に他のラグ・タイマーから一歩抜きん出て音楽活動の場を広げつつあり、北部への演奏旅行を果たす程の経験を積んでいたが、自分より13歳も年若いショーバンの才能を大いに認めていたらしい。二人はよく会い、新しい演奏法や作曲についてのアイディアを互いに交換しあう程の仲になっていたという記述が残っている。

その後いつしかそれぞれの音楽人生を歩んでいた二人だったが、1905年のある日 ジョプリンはシカゴに居たショーバンの許を訪ね、かつての旧友との再会を果たす。その目的は、自身の曲を楽譜にすることが出来ないショーバンの代わりに曲を採譜して残すためだった。既に梅毒に侵され、病の床に就いていたショーバンが示す音群をジョプリンが書き留めるという形で《イントロダクション》 《第1パート》 《第2パート》が書かれ、後半の《第3パート》 《第4パート》をジョプリンが加筆してゆく。こうして二人は奇跡の様に美しい作品を作り上げることになった。


この曲の中で最も特筆すべき箇所は、やはりショーバンが作った
《イントロダクション》 《第1パート》 《第2パート》だろう。いわゆる
オーソドックスなラグとはかなり趣きが異なる、メランコリックなラグだ。

…まるで、
阿片煙草の煙がけだるく立ち昇るかの様なイントロダクション。
そのおぼろげな紫煙が、天井から吊り下げられたファンにゆっくりと掻き混ぜられ巻き髭の如き渦をぼんやりと巻くように 柔らかく紡がれる第1パートのテーマ。
第2パートのⅤ7→Ⅰのコードが繰り返される箇所は、
幼い子供が飽きることなく 幾度も幾度も母親に何かを問い続ける囁きにも似て、、、。

この曲が出版されたのは1907年12月23日。
そして3ヶ月後の1908年3月27日、
ショーバンは"Heliotrope Bouquet"という親友との確かな証を私達に残して
僅か27年間の生涯を終えた。


スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1868年11月24日 - 1917年4月1日)
ルイ・ショーバン (Louis Chauvin,881年3月13日 - 1908年3月26日 )


【 text by 電気羊 】