7/26/2009

~Interlude Ⅴ~ 『ディア・ハート』『夏の陽』『LAZY RIVER』

◆ ◆ ◇ 3つの独立したショート・レビュー ◇ ◆ ◆


" ディア・ハート " ~村上春樹 著『 蛍 』によせて


普段何気ないことではあるが、
私達の記憶は無意識のうちに整理され保存されるものらしいと聞く。
然るべき所に整理される記憶──記憶の引き出しといったところか。

そういった記憶メカニズムも、
例えば精神的ショックや強い心理的ストレスを受けると
その時の記憶を丸ごと未整理のまま抑圧するそうだ。

抑圧された記憶──困ったことに、
いつまでも未消化のまま何処かに保存される事態となるのだろう。

更に嫌な思い出や触れられたくない出来事を無意識に避けようとして、
自分の興味や関心を限られた狭い範囲に制限してしまうことも・・・あるらしい。


” 僕にはいろんなことがうまく思い出せなくなっていた。
何もかもがおそろしく遠い昔に起こった出来事のように感じられた ”


村上春樹の短編『 蛍 』。後の「ノルウェイの森」の原型といわれる。
この作品では触れたくない記憶が原因で心理的な狭窄に陥った主人公の姿が描かれている。
作品中ヘンリー・マンシーニのレコード「 ディア・ハート 」がひとつのガジェットとして使われているが、
これは恋人への思慕を歌う歌詞の内容が暗喩になっているのかもしれない。


” 寮の一日は荘厳な国旗掲揚とともに始まる。もちろん国家も流れる。ー中略ー
国旗を掲揚するのは東棟──僕の入っている棟──の寮長の役目だった。
背が高く目つきの鋭い五十前後の男だ。ー中略ーこの人物は陸軍中野学校の出身という話だ。
その横にはこの国旗掲揚を手伝う助手の如き立場の学生が控えている。
この学生のことは誰もよく知らない。ー中略ー
僕は寮に入った当初、よく窓からこの光景を眺めたものだ。ー中略ー

「 さざれ石のぉ── 」というあたりで旗はポールのまんなかあたり、
「 まぁで── 」というところで頂上にのぼりつめる。
そして二人は背筋をしゃんとのばして「 気をつけ 」の姿勢をとり、
国旗をまっすぐに見上げる。 ”


それにしても冒頭部分──、
するするとポールを上がっていく旗と厳かに執り行われる儀式、
主人公の生活する学生寮での国旗掲揚と「君が代」の描写。
ここにおいて長々と扱った意図は何であったのだろう。


また、” 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している ”
という主人公のモノローグが登場するが、これも気になるところだ。
一般論的な発言の真意、その核心部分は何処にあるのだろうか…興味深い。


──────────

” 日が暮れると寮はしんとした。国旗がポールから降ろされ、食堂の窓に電気がともった。ー中略ー
僕は屋上の隅にある錆びた鉄の梯子を上がって、給水塔の上に出た。
ー中略ー
右手には新宿の街が、左手には池袋の町が見えた。
車のヘッド・ライトが鮮やかな光の川となって、街から街へと流れていた。
様々な音が混じりあったやわらかなうねりが、まるで雲のように街の上に浮かんでいた。 ”


小説の終盤、蛍を放つ場面ではそれまでと一転して、
主人公の視野が一気に拡がるように夕暮れ時の情景が瑞々しく描写される。
その際立って美しく語られる淡い闇に解き放たれる光の軌跡──
読後、余韻と共に本の余白ページに溶け込んでいくかのようでもある。


text and traced by
【 gkz 】




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"夏の陽"

歌:山下達郎 アルバム「CIRCUS TOWN(1976)」より
RCA RECORD CRVL-8004

梅雨明けの空に突き抜けていく歌声は空の青い部分に溶けていった。
荒削りの部分があるものの、あの「抜けていく感じ」は
「挑戦者」のみに与えられるものなのであろうか?

ステージの光じゃなく、太陽の光でもない、あの光の向こう側...
恐らく、音が光に変わる瞬間なのかもしれない。



"音楽性の力量を海外で試したい"という意思で作られた、山下達郎の1stアルバム。

『そうじゃないんだ、僕のいるのは…』

上記の本人の気概を感じさせる曲中の一節です。
自信だけではない、自分自身への問いや不安。
そんな想いはメロディとなり、溢れる情熱が歌詞を導いていきます。
気負いの無い自然な形で表されたそれらを優しく包み込むバックコーラス隊。
そして天へ翔け上がるかのように曲は眩い太陽となり聴く者を照らす…

8月。各地でスポーツの祭典が行なわれます。
選手が個々の力を互いにぶつけ合う場。力を発揮する者・出来ない者…
結果はそれぞれでも、各選手のプレーは見る者の『希望』となるでしょう。


text by
【 DJ 】



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"LAZY RIVER" ~ ひねもす、のたり。~

歌:ミルズ・ブラザーズ(MILLS BROTHERS)
作曲:ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael )
作詞:シドニー・アロディン(Sidney Arodin)
(1931年作曲)



《 Barbershop music 》
テレビは勿論、ラジオすら無かった1870年代。
アメリカ南部の黒人達は毎日の過酷な労働の合間に一寸した暇を見つけては
文字通り町々の理髪店に集い、町の噂話や音楽に興じていたそうだ。
当時の理髪店は彼らの息抜きや情報交換の場所としての役割を担いつつ、
独自の音楽スタイルの確立を促す場となった。それが後の1910年頃に
"バーバーショップ・ハーモニー"又は"バーバーショップ・カルテット"
などと呼ばれることになる、アカペラによる男性四部合唱団の誕生である。
その最盛期には各理髪店毎にコーラス隊が居た程の人気ぶりだったらしく、
数々の"バーバーショップ・ソング"なるモノもこの時期に生まれたらしい。

《 Mills Brothers 》

オリジナル・メンバーによるミルズ・ブラザースの結成時期は1920年過ぎ辺りらしい。当時の音源は現存していないが、当時7歳~12歳の兄弟達の歌声は中々のものだったのだろう、その9年後にはN.Y.で始めてのレコーディングを行っている。

彼らはそれまでの伝統的なバーバーショップ・スタイルの流れを汲みつつ、当時流行っていたスイング・ジャズを取り入れ、やがてジャズ・コーラスの草分け的存在となった。





《 Mills Brothersが描く"LAZY RIVER"とは… 》
ホーギー・カーマイケルとシドニー・アロディンによるこの曲は
数々の歌手によって歌い継がれているが、
ミルズ・ブラザーズが唄う"レイジー・リバー"には格別の魅力があると思う。
彼らが思い描いた"川"とはどんなものだったのだろう。

ミルズ・ブラザーズ発祥の地は、オハイオ(OHAIO)州のピクア(Piqua)という町だ。
町の中心地がせいぜい2、3マイル四方程度の小さな片田舎だが、
地図を調べてみると町の北東部に"グレート・マイアミ"と呼ばれる川が
大きく蛇行していることが判る。ミルズ兄弟たちはN.Y.に進出するまで
ずっとこの川の傍で育ち、音楽と親しみながら過ごしていたことは
想像に難くない(下の画像は現在のピクアの地図と1900年頃のピクアの風景)。



『 けだるい夏の日。水辺でまどろみながら、白昼夢に浸ろう… 』という歌詞。
各フレーズ後半部分に決まって半音づつ下がっていくメロディー。
そして 決して急がない、伸びやかなテンポ。

"何もしない幸せ"を囁くように唄う彼等のイメージの原風景。
ぜひ、想像力を膨らませながら聴いてみて欲しい。

Mills Brothers - (up the) Lazy River - YouTube   


「春の海 ひねもすのたり のたりかな」ならぬ、
「夏の Great Miami River ひねもすのたり のたりかな」が味わえるかもしれない。


text by
【 電気羊 】