8/23/2009

~Interlude Ⅵ~ 『セプテンバー・ソング』『Time And Again』『Washington Sqare』

◆ ◆ ◇ 3つの独立したショート・レビュー ◇ ◆ ◆



" セプテンバー・ソング "
映画『 旅愁 / September Affair 』(1950年・米)より

妻子ある中年の建築技師と美しいピアニスト──
旅先で偶然に出会った男女が繰り広げるメロドラマ『旅愁』。

銀幕に登場する美男美女と風光明媚なロケーション、
イタリア料理、ワイン、そして上質な音楽…
いかにも往年のハリウッドらしい上品な映画だ。

「熟れたワインのような私の人生
残された月日を君と過ごそう」

そう歌われるセプテンバー・ソング。
九月は人生における秋ということか── 一年という周期を人の一生に喩えている。
・・・・・・
作曲はユダヤ人音楽家クルト・ヴァイル。
ナチス政権下のドイツからアメリカへ亡命した彼は、
交響曲からドイツ演劇の作曲を経てブロードウェイ・ミュージカルへと
その作風を大きく変貌させながら多くの曲を残している。

ベルリンの雑踏を曲想にしたといわれるモリタート=マック・ザ・ナイフや
スピーク・ロウなどのジャズ・スタンダードは特に有名だろう。
またアラバマ・ソングなども含めて、後のアメリカ大衆音楽に与えた影響は大きい。

この曲セプテンバー・ソングの生い立ちには、こんなエピソードがある。

1938年──クルト・ヴァイルの元に切迫した声で一本の電話が飛び込んできた。
「大至急 曲を用意してくれないか?それも今晩中にだ」
という製作側からの作曲依頼。

それは、当時の舞台作品での配役を巡るトラブルだったようだ。
とある"大物男優"が自身の役柄の小ささに怒ったのが発端で
現場は大揉めに揉めていたらしい。

そこで、製作サイドは一計を案じた。
元々ヒロインを強奪するだけの悪役を
”実は若い娘への恋情を募らせたのには理由があった”という設定に変え、
件の俳優に初老の境地や寂しさ、人生の感慨を舞台で歌わせよう──
つまり役柄の好感度を歌によって強引に上げてしまおう…と
そんな訳で話がヴァイルの元に舞い込んだのだった。

お陰でヴァイルは長距離電話越しの作曲を余儀なくされたが、
それでもわずか一晩きりの突貫工事でこの曲を仕上げたというから、流石と言おうか。

後にフランク・シナトラを始めナット・キング・コールや
果てはルー・リードに至るまでのキャリアを積んだベテラン歌手たちが
こぞってカヴァーした気持ちが解かる気がする。

さぞかし、件の大物(巨匠ジョン・ヒューストン監督の実父)も
満足されたことであろう──。

text by【 gkz 】


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" Time And Again "
Noel Coward & Stuff Smith Verve Records MS V-8206

Jazz界(?)で、ヴァイオリンの名手と言えば・・・?
個人的にはやはり【ステファン・グラッペリ】ではないでしょうか。
【ジャンゴ・ラインハルト】と共にジプシー・スウィングとスウィング・ジャズを
掛け合わせた「マヌーシュ・スウィング」と呼ばれる、情熱的で哀愁漂い、そして
小気味良くスウィングするサウンドは今でも多くの人に愛され支持されているようです。

そして、【ステファン・グラッペリ】と対照的なプレイヤーが
【スタッフ・スミス】ではないでしょうか?

今回の曲『Time And Again』はイギリスの劇作家、作曲家、監督、
俳優、歌手と 多彩な才能の持ち主【ノエル・カワード】との共作です。
少し荒々しいとも思われるアタック感のある力強い演奏、
アドリブの合間に聞かれる ピチカートの音、グリッサンドやポルタメントを
クラシックよりは多用する点は 彼ならでは演奏と云えるのではないでしょうか。

余談ですが、彼がプロとしての活動を始めたのは1920年代後半の
テキサスのアル・トレント楽団と云われております。が、この楽団、
カンサス・シティの【ブルー・デビルズ】等と肩を並べる程の楽団で
ギターリストの【チャーリー・クリスチャン】が在籍していた点でも有名です。
因みにスタッフ・スミスは1909年生まれなので、この楽団に在籍時は二十歳前後!!

「バイオリン」はアイリッシュ・ミュージックでは「フィドル」と呼ばれ、
「楽器」と云うの意味の他に「くだらない」とか「つまらない」と云う意味をも
持っているようですが、彼ら(スタッフ・スミス、ステファングラッペリ)の
演奏を聴けばそんな意味など忘れてしまうのでは?

text by【 DJ 】


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" Washington Sqare "
The Village Stompers(1963年作) 邦題:「ワシントン広場の夜は更けて」



黒い落ち葉が ただひとつ。
風の向くまま 舞っている…
男心を 誰が知る
冷たい風が 知っている。。


最初は、どこか切ないバンジョーの響き。
半音づつKeyが上がるにつれ楽器が増え、 賑やかなディキシーランド・ジャズに様変わりし、
最後にはまた寂しくフェイド・アウト… という見事なアレンジが印象的な曲。

この広場はニューヨークのグリニッジ・カレッジの 中心部に位置している。
ある時期 様々な芸術家やビート族達がこぞって集った、所謂ボヘミアン的要素が濃い地区だ。 

…しかしこの曲が発表された頃にはそのムーブメントも下火の一途を辿っていた。
"ブームの到来と終焉"といった、ある種の侘びしさのようなものが
この曲のイメージやアレンジともどこか通じているような気がする。

冒頭の泣かせる日本語詩(抜粋)は漣健児によるもの。
パラダイスキングやダークダックスのカヴァーは日本でもヒットした。
特に団塊世代の人には馴染み深い曲のようだ。

・・・・・・・・・・

余談だが、
この曲と某洋酒メーカーの昔のCMソングとを
混同して記憶している人が結構いるようだ。
聴き比べると、成る程よく似て…

ほぼ同じBPM × 隣り合ったKey × Bounceしたアコギの伴奏、
大きく捉えた時のメロディーラインの山 × etc,etc。

一つ二つの共通項ならば大した事は無いのだが、
それらを全て"合わせ技"にすると、
アラ不思議。
"他人の空似"とは、まさに言い得て妙だろう。。。

text by 【 電気羊 】