前置きはひとまず、今回はチェット・ベイカーについて──
・・・・・・
クールなトランペットと独特な歌で一世を風靡したチェット・ベイカー。
またハンサムな容姿と透き通った中性的な歌声は
当時、パシフィック・ジャズ・レーベルの美術監兼
明るい太陽と海に魅力的なブロンドの女性、
今日まで続くチェット・ベイカーのイメージのひとつには
1988年5月──カリフォルニア州イングルウッド
~ その日、いつもはひとけのないイングルウッド公園墓地には、
葬儀に集まった人々の姿が点々と散らばっていた。
トランペッターとして知られていた男は長く晩年を過ごしたヨーロッパを離れ、
父親の隣に葬られるため、初めて栄光をつかんだカリフォルニアの地に戻って来たのである。
参列に集まったわずか35名の中にこの葬儀の費用を出した男、
写真家ブルース・ウェーバーの姿もあった。 ~
(『終わりなき闇』著ジェイムズ・ギャビンより)
【 Bruce Weber 】
ブルース・ウェーバー ── 有名ファッション・ブランドの広告に
同性愛的エロスを感じさせる写真を用いることで、
80年代の宣伝・コマーシャルの世界に性的イメージを容認させ
新時代を切り開いた写真家といわれている。
彼が撮影した被写体の多くは若くて爽やかなアメリカ青年で、
繊細さを秘めた端正な面立ちとギリシャ彫刻のような肉体が特徴的だ。
人々の肉体信仰やナルシスト的な願望をくすぐるかのようでもある。
そこにかつてのチェット・ベイカーの姿を彷彿とさせる──
例の、50年代にクラクストンに撮られた一連の作品のイメージが重なる
・・・・・・
【 Chet Baker Sings And Plays】
「それは、つねずね自分が見られたいと願っていたイメージ、
あるいはそういう男として世間に知られたいと願っていたイメージそのものだった」
『チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ(1955年)』について
非常に強い印象を受けたことをブルース・ウェーバーは述べている。
【 the end of Baker’s life 】
写真家ブルース・ウェーバーが執着し私財を投じてまで製作した
映画『レッツ・ゲット・ロスト』──そこに記録されたチェット・ベイカー晩年の姿。
スタイリッシュでありながら深く陰翳に富むモノクロ映像は
ドキュメントともアートとも取れる内容で、
ひとりのミュージシャンの過去と現在が交錯するように描かれている。
写真家を虜にしたフォトジェニックな魅力と、
痩せて頬もこけ落ち顔に刻まれた無数の皺の、その対比
コントラストの美しさというのか──うまく言えないが…
美が滅びるのは、美そのものよりも美しいと言う理由で
金閣寺に放火する三島由紀夫の作品を思い出してしまった。
ブルース・ウェーバーもまた美の囚われ人ということなのだろうか・・・
最後に、映画の中でチェットが歌う場面。
歌詞を一句一句、丁寧にマイクに囁くように歌うチェットの姿について──
長い引用で申し訳ないがここに記して今回は終わりにしたい。
【 Almost Blue 】
この曲がもともと想定していた歌い手のところへ
最終的に届くことになったその道筋は奇妙なものだ。
僕がこれを書いたのは1981年で、チェット・ベイカーの
ヴォーカル・アルバムを2、3枚、ずいぶんと聞込んだ後だった。
僕の次のアルバムの録音中に思いがけなくもチェットがロンドンに現れた。
僕はチェットに『オールモスト・ブルー』のテープを渡した。が、
彼がそれを聴く間もないうちに、どこかに置き忘れてしまうことは十分に予想出来た。
それから数年、チェットがロンドンで演奏するときには、僕はいつも観に行った。
一緒に一杯やったり軽くおしゃべりしたりした。が、
僕が彼にプレゼントした歌について話題になったことは、一度もなかった。
・・・・・・
チェットの死から数ヶ月経って、この歌を彼がひどく弱々しく歌っているテープを渡された。
それはブルース・ウェーバーによるチェットのドキュメンタリー
『レッツ・ゲット・ロスト』のワン・シーンからとられたものだった。
そこでのチェットは、酔っぱらった相手になんとか演奏を成り立たせようとしていた。
そのシーンは僕が最初に彼と出会ったときと良く似ていたが、なお一層心が痛んだのは、
そもそも僕の歌を演奏しようとしてくれたことに礼を言うことが、もう出来ないことだった。
(『ソングス・オブ・エルヴィス・コステロ』 ライナーより)