8/16/2009

レッツ・ゲット・ロスト / Let's Get Lost


ふと思えば・・・半年ほど経ったことになるのだろうか──
体裁を整える為に画像で誤魔化しつつ、
自分が担当する週は映画レビューを勝手気ままにつらつらと書いてきた。

たまたまニューシネマ期の作品が並んだのは個人的な嗜好というか、
資料も豊富だし…現実の時間と距離感が程良くかけ離れていて、
書きやすいからに他ならない。
それに古いからパブリシティな情報を受けることもなく非日常的で気楽だ。

そういえばモノクロ映像の作品も多い気がするが…
これも画面構成や光彩の表現がオーソドックスで多分自分の好みなのだろう。
一応、それぞれの音楽についても書いてはみたつもりだが、
こちらは微妙な距離感を抱いてしまい、
別の事を考えてしまうので添え物程度にご容赦願いたい。

ざっと振り返えれば、 『男と女』で中年男の恋愛願望を
『真夜中のカーボーイ』は青年期の孤独を
『ラスト・ショー』では郷土の喪失をと、
更新時にはそんなことを自分に置き換えていたかなと思う。

また、 『ハスラー』では勝負事やスポーツ競技でよく云われる、
いわゆる経験の差なるものを改めて考え込まされたし、
『タンスと二人の男』での社会から疎外される人とは、
例えば、今で言えばどんな立場の人だろう…などと思いを巡らした気がする。

前置きはひとまず、今回はチェット・ベイカーについて──
歳をとること…美しくときに残酷でもある時間の流れ
人生の一面を感じさせるドキュメンタリー作品である
・・・・・・
【 Let's Get Lost 】
映画『 レッツ・ゲット・ロスト / Let's Get Lost 』(1988/米) 
製作・監督 ブルース・ウェーバー Bruce Weber
出演 チェット・ベイカー Chet Baker
ウィリアム・クラクストン William Claxton  etc.
(モノクロ/120分)
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【 Chet Baker 】
1950年代──南カリフォルニア
風のように軽く爽やかで無駄のない音使い、
ウエスト・コースト・ジャズと呼ばれるサウンド。

クールなトランペットと独特な歌で一世を風靡したチェット・ベイカー。
人種の壁が当たり前のように厚く覆っていた時代に
幸運にもビバップの伝説チャーリー・パーカーとの競演を果たしたことで
若手白人ジャズマンの象徴とも評されたようだ。

またハンサムな容姿と透き通った中性的な歌声は
特に10代の少女に大いに受け入れられ、音楽の枠を超え映画に出演するなど
アイドルのような存在として人気者となったらしい。

【 William Claxton 】
「深夜、現像室で印画紙から初めて彼の顔が浮かび上がってくるまで、
フォトジェニックという言葉の本当の意味を解かってはいなかった」

当時、パシフィック・ジャズ・レーベルの美術監兼
チーフ・フォトグラファーだった写真家ウィリアム・クラクストンは
チェット・ベイカーの魅力についてそう語っている。

明るい太陽と海に魅力的なブロンドの女性、
浜辺に集う多くの若者たち、
クラクストンがデザインしたレコード・ジャケットの数々。
その潮風とともにジャズが流れる西海岸の洒落たエレガントな風景に、
中でもチェット・ベイカーほど似合った人間は居なかったのだろう。

今日まで続くチェット・ベイカーのイメージのひとつには
このクラクストンの写真の功績がとても強いと思う。
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栄光の50年代──
だが、当時のジャズ・ミュージシャンが陥った麻薬禍に
この偶像自身も無関係ではいられなかった。

1988年5月──カリフォルニア州イングルウッド

~ その日、いつもはひとけのないイングルウッド公園墓地には、
葬儀に集まった人々の姿が点々と散らばっていた。
トランペッターとして知られていた男は長く晩年を過ごしたヨーロッパを離れ、
父親の隣に葬られるため、初めて栄光をつかんだカリフォルニアの地に戻って来たのである。

参列に集まったわずか35名の中にこの葬儀の費用を出した男、
写真家ブルース・ウェーバーの姿もあった。 ~

(『終わりなき闇』著ジェイムズ・ギャビンより)

【 Bruce Weber 】
ブルース・ウェーバー ── 有名ファッション・ブランドの広告に
同性愛的エロスを感じさせる写真を用いることで、
80年代の宣伝・コマーシャルの世界に性的イメージを容認させ
新時代を切り開いた写真家といわれている。

彼が撮影した被写体の多くは若くて爽やかなアメリカ青年で、
繊細さを秘めた端正な面立ちとギリシャ彫刻のような肉体が特徴的だ。
人々の肉体信仰やナルシスト的な願望をくすぐるかのようでもある。

そこにかつてのチェット・ベイカーの姿を彷彿とさせる──
例の、50年代にクラクストンに撮られた一連の作品のイメージが重なる
・・・・・・
【 Chet Baker Sings And Plays】
「それは、つねずね自分が見られたいと願っていたイメージ、
あるいはそういう男として世間に知られたいと願っていたイメージそのものだった」

『チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ(1955年)』について
非常に強い印象を受けたことをブルース・ウェーバーは述べている。

【 the end of Baker’s life 】
写真家ブルース・ウェーバーが執着し私財を投じてまで製作した
映画『レッツ・ゲット・ロスト』──そこに記録されたチェット・ベイカー晩年の姿。
スタイリッシュでありながら深く陰翳に富むモノクロ映像は
ドキュメントともアートとも取れる内容で、
ひとりのミュージシャンの過去と現在が交錯するように描かれている。

写真家を虜にしたフォトジェニックな魅力と、
痩せて頬もこけ落ち顔に刻まれた無数の皺の、その対比
コントラストの美しさというのか──うまく言えないが…
美が滅びるのは、美そのものよりも美しいと言う理由で
金閣寺に放火する三島由紀夫の作品を思い出してしまった。

ブルース・ウェーバーもまた美の囚われ人ということなのだろうか・・・

最後に、映画の中でチェットが歌う場面。
歌詞を一句一句、丁寧にマイクに囁くように歌うチェットの姿について──
長い引用で申し訳ないがここに記して今回は終わりにしたい。

【 Almost Blue 】
この曲がもともと想定していた歌い手のところへ
最終的に届くことになったその道筋は奇妙なものだ。
僕がこれを書いたのは1981年で、チェット・ベイカーの
ヴォーカル・アルバムを2、3枚、ずいぶんと聞込んだ後だった。

僕の次のアルバムの録音中に思いがけなくもチェットがロンドンに現れた。
僕はチェットに『オールモスト・ブルー』のテープを渡した。が、
彼がそれを聴く間もないうちに、どこかに置き忘れてしまうことは十分に予想出来た。

それから数年、チェットがロンドンで演奏するときには、僕はいつも観に行った。
一緒に一杯やったり軽くおしゃべりしたりした。が、
僕が彼にプレゼントした歌について話題になったことは、一度もなかった。
・・・・・・
チェットの死から数ヶ月経って、この歌を彼がひどく弱々しく歌っているテープを渡された。
それはブルース・ウェーバーによるチェットのドキュメンタリー
『レッツ・ゲット・ロスト』のワン・シーンからとられたものだった。

そこでのチェットは、酔っぱらった相手になんとか演奏を成り立たせようとしていた。
そのシーンは僕が最初に彼と出会ったときと良く似ていたが、なお一層心が痛んだのは、
そもそも僕の歌を演奏しようとしてくれたことに礼を言うことが、もう出来ないことだった。

(『ソングス・オブ・エルヴィス・コステロ』 ライナーより)