9/06/2009

真夜中の独り言




映画「round midnight」
~tener saxの名手:デイル・ターナーと貧しいデザイナー:フランシスらの言葉を超えた深い絆で結ばれていく~という話。

主人公のモデルはピアニスト【バド・パウエル】。本作品ではピアニストではなくtener奏者となっている辺りに
【レスター・ヤング】への深い敬意を感じ、また2人共サウンドをより拡げようと孤軍奮闘してきたミュージシャンであった。
主人公のデイル役は【バド・パウエル】とも親交が深い、【デクスター・ゴードン】。彼の演技(恐らく‘素’だと思れ、
勝手にアドリブの演技をしていたのでは?)は役者に出来ない現役のミュージシャンならではのものであり、
偉大なjazzmanは役者としても偉大なのか!?と思わせる。また彼はこの年のアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

『ビ・バップは軍隊から逃げ出した人間が創ったものだと思う。』本編の中でデイルはこう語っている。

先ず連想したのが五木寛之の小説「海を見ていたジョニー」。音楽家、役者、画家etc..リベラル・アートに関わる全ての人、
いや「1人の人間として問われている台詞」だと感じざる得ない。音楽家は会社員でもなく、チンピラやヤクザでもない。

『音楽はおれの命だ、音楽を愛している。1日、24時間がそれだ。』
デイルがカウンセリングを受けている時の台詞。

こんな台詞は役者ではまず言えない。また主人公デイルの言葉でもない。
1人の人間 、デクスター・ゴードンの言葉だ。
50年代後半は麻薬の影響でスランプとなり、ニューヨークから逃げる様にヨーロッパへ。
(ニューヨーク最後の録音はBlue note 4133での吹き込み‘‘ A SWINGIN'AFFAIR ’’)60年代初頭~70年後半まで
体の静養と地味な活動が続き、時代はモダールな手法・フリーな手法がメインストリームであったが、
ビ・バップ再評価する兆しの流れに乗り完全にハード・バップを消化し再度復活した、『1人の人間の言葉だ』。

『Autumn in NY』
デイルは盟友ハーシェルの訃報を聞きゴミ捨て場でSax吹いていた曲。
しかし、彼は曲を思い出せない。そんな彼にフランシスが囁く様に歌ってみせる。

~Autumn in NY
Dreamers with empty hands
May sigh for exotic lands
It's autumn in New York
It's good to live again

悲しみがさいなみ 夢見る人は虚しくさまよう
エキゾチックな幻よ ニューヨークの秋 私はまたここに戻ってきた~

歌詩の最後の「It's good to live again」。
「live it again」だと歌詞の内容の訳どうりだが、「live again」だと「生きることそのもの」になる(と思う。)彼は曲を思い出せないのではなく「生きることそのもの」に踏み切れない。
そんな彼にフランシスは「生きることそのもの」に手を差し伸べる。
人は弱いものだが、時には誰かがその人を支えてあげる。
それが彼のtenerの音色になって皆を優しく包んでいく・・・。
本編後半にデイルがニューヨークに戻り、フランシスとの会話シーンで
『この世の中は親切が少ない』と語ったのは彼なりのフランシスへの「お礼の言葉」ではないだろか?




『round midnight』
昼間が社会的時間とするならば、夜は個人的な時間ではないだろうか?
そして過去の、未来の自分自身と向き合う時間で、
良い事も、悪い事も、嬉しい事も、悲しい事も。
夜はその事知っている・・・。

薄暗い夜がすぎてゆくと、ジャズのバンドがすすり泣くを聞いたって
誰かが、言っていたよ
夜が 灰色に明けるころになると。



【参考資料】
・round midnight (DVD 1986年製作)
・海を見ていたジョニー (五木 寛之 著/講談社文庫)
・キャバレー(Langston Hughes 著 斎藤忠利訳)
・決定版 ブルーノート・ブック(ジャズ批評ブックス)