8/30/2009

Interplay ~Ⅱ~ 死んだ歴史ののこしたものは?

   ◆ ◆ ◇ フィールド・ワーク覚書 ◇ ◆ ◆


───── 秩序と無秩序の狭間で ─────

先日、首都圏から一時間くらい離れた郊外に行く機会があった。
車窓から広がる、パッと見平坦で凡庸な、田舎の景色。
なぜかふと この田園風景の中に秩序らしきものがあるような気がした。

小川や雑木林、大小の野池や水田。そして点在する集落。それらを
"全て遠い古からの農政学に基づく絶妙な配置である"と仮定して眺めると
何でもない風景が類い稀な造形美のようにも見え、なぜか嬉しい気持ちになった。

東京へと戻る際、その美しさが次第に消え失せてゆくことに気付く。
代わりに立ち現われて来るのは 雑然とした生活の匂いだ。
雑然とした景観。密集した家屋は、際限無く増殖し続ける生き物のよう…
また、それらと墓石にも似た巨大なビル群との関係性は
"多様性"という名のカオスのようにも、思えた。

───── 様々な価値観が交錯する地、上野へ ─────

徳川家の菩提寺が建ち並ぶ慰霊の地、彰義隊と官軍が争った史跡としての空間。
200年余の歴史を封印するかのように立ち聳える南洲公の銅像。
新政府の守り神・門番としての象徴のようでもある。

江戸と明治。幕府と政府。時代と共に入れ替わる権力。
封建制と国民国家や家父長制や天皇制、etc.…異なる時代、異なる価値観。

近代国家建設の時代、日本の西欧化の動き。
そんな時代に設計された、音楽と美術における大いなる青写真としての上野。
新しい価値観やリベラルアート/芸術の勃興の地となるべく創設されたに違いない。

日本に本格的に輸入された初期の西欧文化。その音楽や美術の黎明期を理解し、
先人たちの思考やスピリットが交錯した道程を探ることが出来ればと思い
今回の"Interplay"は上野公園にターゲットを絞ってみる事にした。

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午後の早い時刻に、上野公園に到着。

秩序だった空間────

庶民感覚や情緒漂う千駄木や浅草、
御徒町といった周辺地域とは
全く違う趣の場所だ。

この日の空は久しぶりに
夏の日差しを取り戻している。

公園の噴水近くでは
思い思いに夏を満喫している家族連れや
カップルなどで賑わっていた。




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・・・・・ 旧東京音楽学校奏楽堂 ・・・・・
明治23年に創建された、日本最古の木造の洋式音楽ホール。文部技官山口半六と
久留正道の設計により、東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の本館として建設された。




日本初のオーディトリウムとしての
役割を果たしてきた奏楽堂には
音楽ホールとしては珍しく
ステージの左右と背面に窓が配されている。

客席に差し込む自然光が
何とも新鮮で心地よい。

この日は東京芸術大学学生・院生による
30分程度の小演奏会が催されていた。




窓の外から漏れ聞こえてくるのは蝉の大合唱だ。
その中で、パイプオルガンによって演奏されてゆくバロック音楽。
20代そこそこの若い女学生と満120歳のホールとが創り出す音色。

…この音楽を愉しむ風景は、一世紀以上前からずっと変わらないのだ…
そんな事を思いながら彼女らの瑞々しい演奏を目を閉じ聴いているうちに 一瞬、
自分が何者で今がいつの時代なのかが分からなくなるような錯覚を覚えた。

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・・・・・ 東京都美術館 ・・・・・
北九州の石炭王と言われた佐藤慶太郎から東京府に100万円の寄付により 大正15年(1926)5月1日に開館した。
旧美術館の老朽化と手狭さ、機能低下を解消するために昭和50年に建て直された現建物は、前川國男によるもの。



各所にある窓が印象的な、赤レンガ造りのモダンなデザイン。 随所に思索スペースとも思える
ちょっとした空間が確保されており、 機能性一辺倒ではない美学が窺える。
この建物の中では常時大小幾つもの美術展が独立して行われている。
今回見学した美術展は"反戦争・平和"をテーマに、数多くの一般者が出展している展覧会だ。

300点以上はあると思われる様々な静物画、人物画、風景画たち…
この様な趣旨の展覧会なので、題材も戦争に沿ったものかな、と想像していた。
しかし意外なことに、そのような作品は全体の1~2割程度だった。

多くの自然体な作品を観ていくうちに、 "声高に平和や反戦を叫ぶモティーフを
書かずとも個人が自由に創作していける事自体が 平和の形なのだ。
この自由な作風こそが平和な時代の証しなのだな"と気が付かされた。

この展覧会の中に、滝平 ニ郎氏を追悼するコーナーが設けられていた。
幼い頃に買って貰った絵本「モチモチの木」を擦り切れるまで幾度も読み返した事を思い出した。
彼もまたこの美術展と関わりがあったのだな、と暫し感慨に耽りながら作品を録らせて戴いた。

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───── "ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ" 再び? ─────



美術館を出ると、既に陽は傾きかけていた。

何だか怪しげな空模様だね、と話しているうちに
空から叩きつけられるように落ちてきた大粒の雨。
みるみるうちにひどい土砂降りになった。

日没まで上野公園を散策する予定だったが、
止む無く車で上野を離れる。

────前回のInterplay同様、
          また雨に降られてしまった────



帰りに立ち寄った定食屋。
皆 言葉少なに食事を摂りながら、店内に点けられていたTVをぼんやりと眺める。
画面では核兵器削減を唱えたオバマ発言を元に、戦争に因んだ話が取り上げられていた。

世界各地での様々なインタビューの中、米国人の発言が印象に残った。
アメリカの戦中世代は若い世代に原爆を投下した事実を伝えてはいない…


夕立の雨が黒く見えたのは 気のせいだろうか?


───── 思いを伝える、ということ ─────

"死んだ歴史の 残したものは
輝く今日と 又来るあした
他には何も 残っていない
他には何も 残っていない"

「死んだ男の残したものは」より抜粋 谷川俊太郎作詞・武満徹作曲


YouTubeの中で、初音ミクが歌っている。
反戦歌をミクが歌うという構図は 一見するとかなりシュールな様にも思えるが、
思い返してみると日本を代表するアニメーション監督、大友克洋、宮崎駿、押井守等の
海外で評価の高い諸作品の中にも放射能・核・最終戦争などのメタファーが
数多く含まれている事に気付かされる。

この日見てきた美術展の自由な作品群も、ミクが歌う反戦歌も、アニメも、
"昔日本で何が起こったのか"を伝える一つの方法かもしれないな、と思う。


"輝く今日と 又来るあした"に思いを伝える手段は、幾らでもあるのだ。





【 text by DJ with gkz,電気羊   photo by gkz   edit by 電気羊】