11/09/2009

師匠と弟子、その先輩と後輩…


去る29日に亡くなった落語家の五代目三遊亭円楽さん。
一番弟子の三遊亭楽太郎が亡き師匠について語った内容は
「まだまだ教わることがあったし、小言を言われなくなるのが悲しい」
「感謝しかありません。“ありがとうございました”と声をかけました」
だった。

落語の世界での師匠と弟子の関係は少し特殊である。
師匠は弟子についての一切の生殺与奪権を持つが、その一方で
上下関係は一門を越えて共通とされ 師匠は"落語界全体にとっての師匠"、
弟子は"落語界全体にとっての弟子"という捕らえ方をする為、 所謂"出稽古"は許される。

日本の古典芸能、いわゆる歌舞伎や大相撲や落語界のような芸道に於いての
師匠⇔弟子の関係性は 実親と同等(若しくはそれ以上)の深い絆で結ばれているように見えるが、
音楽界での師弟関係はどうなのだろうか…とふと考えてみた。


【クラシック音楽界の場合】まず最初に目指す師匠の門を叩いて「弟子に採って下さい」と請うところは前述した落語界と似ているが、特に本格的な技術を身につけたい場合などは高名な演奏家や教授等の門下に入るのは中々難しく、時によっては紹介状や推薦、事実上のオーディションを課すことも珍しくは無い。また複数の先生につくことも可能だが、後々その先生を取り巻く人間関係や学閥のしがらみに苦労することもあり、直接音楽とは関係無いところで思わぬ苦労を強いられる例もある。

【ジャズ界の場合】例えば、マイルス・デイヴィス。彼はチャーリー・パーカーの許に行くためにセントルイスからニューヨークまで遥々訪ね、プロミュージシャンとしての第一歩を踏み出している。また、後にハービー・ハンコック等若手のプレイヤーを積極的に登用している点でも、かなりライトとはいえある種の師弟関係めいた構造が当時のジャズ界にはあったのではないだろうか。言わば"師匠無き兄弟子"のようなものかも知れない(また知人がとあるプロドラマーの"坊や"を一時期やっていたが、その様子はもっと上下関係が厳しく絶対に"NO"が言えなさそうなところは体育会系?のようなノリを感じた)。

【ロック界の場合】ロック界隈の事情に関しては余り詳しくないので断定はできないが、いわゆる"○○一門"のようなシステムはほぼ無いと思う。好きなミュージシャンのコピー等を通して自分で腕を磨く点は、よい意味での"技は盗むものだ"という空気が他のジャンルよりも幾分強いのかも知れない。また仲間内での機材選び等に関する情報交換の頻度はかなり活発なように思う。また他のジャンルに比べて上級者がHOW TOモノのDVD等を出したりする場合はビジネスとしての側面が大きいような気がする。

【インドの音楽界の場合】インドの伝統音楽家の育成方法は、日本の落語にかなり似ているようだ。例えばしっかりとした師弟関係(内弟子制度など)、大曲(落語で言えば"駱駝"のような大ネタ)は師匠の許可が無いと演奏出来ない点、一度入門した流派は変えない、など。

【DJ界の場合】DJという分野はクラシックや歌舞伎などの伝統芸能よりはずっと新しいポジションであるにも関わらず、その内実はロック界やジャズ界に比べて上下関係がシビアなようである。例えばレゲエDJの世界では、まずは経験豊富なDJのサウンドシステムのスピーカーを運ぶ、という所から始まることも多々あるようだ。


かなり大雑把ではあるがこうして俯瞰で眺めてみると、
伝統的なジャンルはなるほど師弟関係がしっかりと構築されていることがわかるし、
一方で明確な師弟関係が存在しないジャンルではよりストリートに近いものの方が
先輩後輩の差別化や上下関係がしっかりとしているようにも見える。

音楽は実力や個性がモノを言う世界ではあるものの、
その中にもある程度の上下の秩序はあった方が良い、言うことなのかも知れない。




(最後に、此処に書いた事例はあくまでもある一時代、ある一面を切り取ったに過ぎず
各ジャンルとも実に様々なスタイルで技術を磨く者や若手を育てる土壌があることを記しておきたいと思う。)