11/15/2009

映画 ラジオ・デイズ / Radio Days


『 未来の人たちは僕らのことを知るだろうか?
・・・ 何も知るまい。
時と共にすべてが消えていく ──
今どんなに有名でもてはやされようとね 』
ラジオ・デイズより

【 余談 雑談 】

何年か前に・・・無人島レコード?という話があったと思う。
(もしも無人島に一人で行く破目になったら何選ぶ──云々)
レコードマップが載った本を片手に、周りではそんな会話がちょうど流行っていた。7・8年以上前か。

その頃、宮下公園の先の明治通り沿いにあった
服屋兼カフェで
知人のソウルとダンス・クラシックス好きの女の子に
「そうなったら何持って行きますかぁ?」とその闊達な声で尋ねられた事がある。

まだ音楽ファイルやミュージック・プレイヤーなどが一般的ではなかった頃だ。
その時はとっさに頭の中でいつもの自分の部屋を思い出して、
レコード棚から床のダンボール箱の中身に至るまで
自分のささやかではあるものの大事なコレクションに考えを巡らした。

『アレも良いコレも良い、アレもあったな・・・
あれ?そういえばあの音源は何処に行ったっけ?』
などとアルバム・ジャケットを思い浮かべて
脳の中でリフレインする音と共に
慌ただしく目録をめくるが如く…だった気がする。


気がつけば店内の雑多な会話が耳に入らなくなり、
目の前に座る女の子の表情もたいそう怪訝な感じに変わっていたので
何だか悪いかなと思い、咄嗟に何か一言二言、言いかけたと思う。

けれども、すぐに自分で気がついた。その漠然とした問いには、
例えば近視的に選り好みして一時的には答えることが出来るだろう。
だけど、それにしても”無人島に一枚”── 私の究極の一枚みたいに
明確に言い切れる根拠や実感は自分には無さそうだ・・・と。

そもそも体系的に音楽を聴いている訳じゃないので、
それぞれの音楽の時間軸といった所や文化背景についての
知識と理解が今以上に乏しくて、とても人様に語るには足りなかったし、
それにまだまだ未聴の名盤・名演といわれたレコードは多数ある。
未体験のジャンルにも気になる作品がきっとあるに違いないと思った。

つまり自分で言うのも何だが、甚だ希薄な若者で気分だけで音楽を聴いていた・・・
そのことは薄々分かっていたのだが、変なカタチで自覚する羽目になったのだ。

結局、彼女に何を答えたか覚えていない ── 。

【 映画 ラジオ・デイズ / Radio Days 】(1987/米)
~ラジオに夢中だった少年~

脚本・監督 ウディ・アレンによるラジオ全盛の時代を
舞台にした半自伝的物語と云われている。
ニューヨーク郊外。幼少期に育った街の記憶を元に、
日常生活の中での家族のやりとりや人々の交流が、
ラジオから流れる当時のヒット曲と共に描かれている。

それとアレン少年が大いに憧れたマンハッタンの風景──
ラジオ・シティ・ミュージック・ホールなどは
まるでファンタジーの世界の神殿並に讃えられていて面白い。

彼は郊外で生まれ育ったせいか
大人になってからコメディアンとして名を成すまで
自分のことを田舎者だと思っていたそうだ。
あの典型的なニューヨーカーが・・・である。

・・・・・・

「ダンシング・イン・ザ・ダーク」のコントで幕が開き、
つづくクルト・ヴァイル作曲の「セプテンバー・ソング」 *
の追想的な気分へと誘われる冒頭部分の演出は見事。

陽気に踊るカルメン・ミランダの曲やミルズ・ブラザーズ * の心暖まるコーラス。
トミー・ドーシー楽団 * にグレン・ミラー楽団など名曲の数々。
洗練されたユーモアでもって脚色された曲の解釈と
纏わるラジオ放送のエピソードが大いに笑える所だ。

コール・ポーター作の「ビギン・ザ・ビギン」「ナイト・アンド・デイ」
そして最後にダイアン・キートンがクラブ歌手を演じて歌う
「ユー・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
/You'd be so nice to come home to」
・・・
物語のコンセプト部分と言うのか・・・沁みるような歌唱。
ここは特にテーマ性と関わるのか?雰囲気もガラリと変わっていて大変気になる。

『 忘れられない年でした。叔母に起こされて見た1944年はね。
あの人たちも忘れないし、ラジオで聞いた懐かしい声も・・・
でも現実は年が過ぎ去って行くにつれ
あの声、この声が次第に薄れていきます 』

ウディ・アレン

人は紆余曲折を経て現在に至る・・・
まあ考えれば当たり前のことですね。

今もし無人島に行くなら何を持っていくだろう?
「ラジオ」と答えるのはアリなのだろうか──