12/20/2009

映画 スモーク / SMOKE


「君、煙草の煙は量れると思うかい?」
煙の重さを?
「そう 煙の重さだ」
空気と同じでは?

「新しいシガーを一本、
まずそれを秤に乗せて重さを量る」
はあ…
「それからシガーに火をつけ──
秤の皿に灰を落とす。
そして吸い終えたら吸殻も皿に入れる」  
ええ…

「残った灰と吸殻の重さを、
吸う前に量ったシガー分から差し引く」
・・・つまり?   

「その差が──煙の重さだ。
あるいは”魂を量れる”と言うようなものだ」

『スモーク』より

【 SMOKE 】

今回、改めて観直した『スモーク』。
DVDに収められていた劇場予告編を観たら
~恵比寿ガーデンシネマ一周年記念作品~
1995年 秋・公開──とクレジットされている。

そういえば六本木ヒルズ以前、
当時は恵比寿ガーデンプレイスの施設自体が
商業施設として話題だったのを覚えている。
劇場の方も盛況だった。
確かこの作品は整理券が必要で、
それも昼間に配布されていたから
無理に人に頼んで取ってもらった記憶がある。

それから数えて14年──

これこそ時は小きざみな足どりで
一日一日を歩むということだろうか。
そう。 ちょうど映画の登場人物、
煙草屋のオーギー・レンが
費やした時間と並んだことになる。

【 Auggie Wren's Christmas Story 】

ブルックリンの小さな煙草屋。
常に人が入り浸っている店は、
近所の住人たちの憩いの場となっていた──

場外馬券売り場の男や
ミュージシャン志望の青年など。
無駄口を叩いては議論とも雑談とも
とれる会話を交し合う常連客たち。

映画『スモーク』はニューヨーク庶民の風景、
市井の人々が描かれている。
淡々とした画面構成の上に
実力ある俳優がドラマを演じてみせる。
シンプルでいて台詞の”間”が特徴的だ。

原作・脚本のポール・オースターは
『東京物語』を何度も観たそうだから。
この作品では小津安二郎を意識したのかも知れない…
それとも監督のウェイン・ワンの方だろうか…どうだろう。

・・・・・・

煙草屋の主人オーギー・レンは
几帳面にも14年間ずっと、
毎日同じ時刻に同じ場所で
写真を撮り続けている男だ。

彼はライフワークのように
街角を守る歩哨のように通りに立ち
歩き去って行く人々をレンズ越しに捉える──。

四千枚を越える数の写真は、
一見すると同じに見えるし、
何も変わらぬように見える。

オーギー・レンはゆっくりと注意深く
写真を眺めることを示唆する。
そして呟くのだ「明日、また明日、また明日と」

物語と呼ぶべきものへの断片
実際には一枚一枚が異なる一瞬──
写真というのはそれを捉えている・・・
そういうことだろうか。

【 Innocent When You Dream (Barroom) 】

映画本編の見所はクリスマスにまつわる話が
語られる終盤のカフェでの場面だろう。
長い台詞が時間にして10分以上も続くシーンだ。

ライフワークとなった写真、その撮影に使うカメラ。
そのきっかけとなった秘密について──
オーギーは全て語り終えると一本の煙草を取り出し
温和な表情で静かに笑ってみせる。

それから火をつけるライターの音を合図に
緩やかなワルツのリズムが背後に流れ出す。
トム・ウェイツの歌声が被さり、
そのまま白黒フィルムに変わり
物語はCodaへと移行していく──
"酔いどれ天使"と聖なる夜の饗宴。

この箇所は実際に1990年のクリスマスの朝、
ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された
『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』
を忠実に再現しているのだろう・・・
他のシークエンスとは異なった質感が面白い。

広角からアップへと変化する映像は
人物の内面や葛藤が明らかになる様子と呼応し
人と人が互いに親密となり共感し合う──
そんな様子をも表していると思う。

「物語の終わりには
誰もが最初に較べると少しは幸せになっている。
悲劇だと舞台の上で死ぬことになるが、
喜劇では皆がまだ持ちこたえていて続くんだ。
良いことも起きるし悪いことも起きる。
そう そして人生は続く」
ポール・オースター

資料
『スモーク』DVD 監督 ウェイン・ワン
主演 ハーヴェイ・カイテル ウィリアム・ハート
ポニーキャニオン
『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』 ポール・オースター 著, 柴田 元幸 翻訳  新潮文庫
『翻訳夜話』 村上 春樹 著, 柴田 元幸 著 文春新書
『Switch 1995/7 』 スイッチ・パブリッシング
『フランクス・ワイルド・イヤーズ』CD トム・ウェイツ ISLAND RECORDS
『トム・ウェイツ ピアノ曲集』楽譜 
ケイ・エム・ピー