3/07/2010

神田川




先日街の不動屋さんのアパートの物件を眺めていた。

幅広い家賃、様々な間取り...沢山の物件のセールスポイントを見てみると、
「インターネット使い放題、ペット可、全室オートロック女性も安心、夜の仕事の方OK」等と
今の時代ならではの入居者のニーズに合わせた物件が目に付く中、こんな物件があった。



『風呂無し、近隣に銭湯あり』




銭湯の歴史は鎌倉時代から始まり、現在の湯に浸かる「湯槽式入浴」は江戸時代から始まったと言われます。江戸時代、家に風呂(内風呂)がある家は身分の高い者にしか認められず、一般庶民は銭湯(湯屋:ゆうや)を利用していたそうです。
また、木造の長屋が多く火事の多い江戸では庶民が内風呂を持つ事が禁止されていたようです。

ところで、皆さんは「銭湯」に行ったことがありますでしょうか?
近年「健康ランド、スーパー銭湯」なるものが東京郊外等に見受けられますが、
「街中の、自分の家の近隣の銭湯」に行った事があるでしょうか?

現在、東京都にある銭湯の数は「829店(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合に加盟していると思われる銭湯)」あるようで、昭和40年代頃までは銭湯も多く開業されていましたがそれ以降は各家庭に内風呂が設置されたり、ニュータウン等の地域開発に伴い総合住宅(団地など)の建築ブーム等により人々の生活様式、生活時間などの変化により減少していった為、自宅に風呂がある人は殆ど銭湯には行ったことがないのでは?

因みに私は小学校1年の時両親の都合により、区内下町の母親方の実家で暮らしていた時によく銭湯に行きました。自宅に風呂は有りましたが、同級生の友達の半分位は家に風呂がない子が殆どで、その友達と銭湯に行った思い出があります。

中でも一番覚えているのが、、、
いつも風呂上りに友達と脱衣所や縁側で「アイス(棒状)」を食べていたのですが、その日はどうしても先にアイスを食べたくて...しかし風呂にも入らなくては...ということで友達皆で「風呂に入りながら、アイスを食べる」ことにしました。
湯船に浸かり、仲の好い友達とアイスを食べる...小学生の私には最高のひと時でしたが、次の瞬間見知らぬ爺さんに怒鳴られる!という始末...(当たり前だが)。

数日後、学校から帰るといつもは優しい祖父にいきなり怒鳴りつけられました。そう上記の銭湯のことで。要するに銭湯で怒鳴られた爺さんと祖父は地域の消防団員で顔見知りで、私の事を知っていたのだ。銭湯はただ体を清潔にする所だけではなく、

【その地域に根ざしたコミニケーションの場所】でもあったのだ。





昭和48年(1973年)9月。
あるフォーク・グループのアルバムに収録された曲を、深夜ラジオ番組で放送したところ
数多くのリスナーからの問い合わせ・リクエストが寄せられ、それを機にシングル・カットされた曲。
南こうせつ率いる「かぐや姫」の代表作と云っても過言でもない作品、『神田川』。


南氏が作曲を手掛け、作詞を当時ラジオ局の放送作家の喜多条 忠に依頼した。
歌詞は、70年代当時の若者の同棲生活を送っていた男女間を喜多条氏の実体験に基ずく苦い思い出を切なく綴った内容で、歌詞の中で銭湯がガジェットとして使われている。
時代が移り行く時期に、古き良き時代の象徴としての銭湯。
また何気ない普段の生活描写を切り抜き、男女間の気持ちの揺れを一個人の目線で描き、当時若者の意見の代弁者であるフォーク・グループが丁寧に歌う、と言った事が当時の若者達の支持を得たと思います。



現在、減少傾向にある「銭湯」ですが、近年では銭湯の建築様式がレトロ・ブームとして注目が集まったり、
浴室正面に描かれた「ペンキ絵」や「タイル絵」にも注目が集まり、違う価値観で銭湯を見直す動きがあるようです。

また、定休日に「外国人向けに風呂の入り方をレクチャー」したり、
浴室の残響(エコー)を利用した「アコースティック・ライブ」なども行われ、
銭湯を利用したことが無い海外の人や若い世代にも理解を得ようと云う活動もされている銭湯もあるとか。




一雨ごとに春の訪れを感じるこの季節。
と言っても、まだ肌寒い日が多い。

こんな夜は熱い風呂に浸かるのも好いかと。







【参考資料】

・東京都公衆浴場業生活衛生同業組合 web (http://1010.or.jp/index.php)