5/03/2010

ANYTHING GOES



世間はゴールデン・ウィークだ。
連休とは無縁の私だが...業種によっては4月末辺りからお休みの方も?
ところで、何の祝日でしたっけ??


1954年。当時日本は敗戦後からの独立・経済自立向け模索していた時期で、
国内需要の低下・物価の低落と言う不安要素抱えながら国際社会の仲間入りを目指していた。
そんな折、激しくなる東西冷戦の対立が海外輸出を好転をもたらし国際収支も黒字に転じ、
国内需要も好転の兆しがみていた。そう、朝鮮戦争特需である。
また「三種の神器」と呼ばれる【電気冷蔵庫,洗濯機,テレビ】に庶民は憧れていた時期でもあった、
その2月に日本にアメリカを代表する有名スターが2人来日していた。


【ジョー・ディマジオ】と【マリリン・モンロー】が新婚旅行で来日していたのだ




ジョー・ディマジオは読売巨人軍の野球指導の為1人で出か掛けたが、
野球には興味がないマリリンは1人ホテルで過ごしていたそうです。
(ちなみに来日会見で、「寝る時は、何を着て寝ますか?」と云う質問に
「シャネル5番だけ」と云う有名な回答が出たのはこの時だったそうです)

そんな暇を持て余していたマリリンにアメリカ極東指令本部より連絡が入った。
内容は朝鮮半島で停戦中のアメリカ駐留軍の慰問だ。
ジョー・ディマジオは強く反対したが...
結局2/16~19日の4日間マリリンは朝鮮半島に駐留するアメリカ軍兵のもとへ慰問として各地を回った。


◆6148th Tactical Control Squadron "Mosquito"

この“MOSQUITO”部隊の任務は敵の地上施設や移動する敵軍を見つけだし、目標物を発見すると確実に攻撃出来るように発煙弾を投下し、上空を旋回している戦闘爆撃機に地上部隊を通して無線連絡することであった。“MOSQUITO”の呼び名は文字通り“蚊”のごとくいつ何処から現れるか予測がつかない為につけられたもので、北朝鮮軍には忌み嫌われ恐れられていた。





大規模な軍隊を朝鮮半島に派遣したアメリカ軍は数多くの歌手・コメディアン・俳優を慰問団として派遣し数多くの公演を行った。
そしてマリリンもその一人であった。

マリリンが「K-47」と呼ばれた「チュンチョン」を訪れた時、上記部隊の興奮した兵士からフライト・ジャケットを手渡され羽織ってみせた。
感激と興奮に覚め止まぬ兵士たちはこの思い出を記念として、自分のフライト・ジャケットに「日付とショーのタイトル」をパッチや刺繍したと言われてる。


因みにショーのタイトルは【anything goes (何でもあり)】





国家権力主導の音楽による慰安。
また、第二次世界大戦中兵士の士気を挙げる為の「V-disc」(V-discとは、1942年末~49年末までにアメリカ政府が製造した30cmのSPレコード。戦地へはパラシュートで蓄音器と一緒に落し、戦場の兵士の士気の高揚・レクリエーションを目的としたもの)。
戦場の兵士の「心を慰める」点は頷ける半面、兵士を戦場に送り出したのも国家である。

核縮小、有事おける沖縄核密約文書の発覚、日本国内おける基地移転問題...様々な問題が問われているが、我々は「身の回りにある」歴史の負の遺産からまず過去を知る事が出来る事を忘れてはならない。