5/30/2010

Interplay ~Ⅳ~ 信仰と祈りの場に見る"音"たち

~東京ジャーミイ、増上寺を訪ねる旅~


ミュージシャンは音楽が好きだ。
音楽に付随してくるあらゆるエッセンス──ギア・ガジェット・メディアやファッションなどの
物質的なもの、カルチャーや文化とかロールモデル・代弁者とか社会的なもの、スタイルや価値観、
思想や哲学といった精神的なもの、etc,etc。だが、それにもまして音楽そのものが好きだ。

また ミュージシャンという生き物は得てして我侭な性分を持ち合わせている。
人によっては音楽を含め様々な『音』というものに敏感な一面を覗かせる場合に多々遭遇する。
例えば、音楽に集中する迄の間、空調や蛍光灯等の微細なノイズすら気に障る人も少なくないだろう。

その人なりの『心地よい音空間』というものは人の数だけ存在していて、
時として邪魔になる音は脳の中で取捨選択され、気にならなくなるよう制御されている。
つまり、それらによって神経過敏にならないよう、脳が勝手に自己調整をするのだ。

それが感覚が鈍くなる感じがして、なんだか嫌だ──と思う人は少数派ながら居るのだと思う。
耳の感度を保ちたいが故なのだろうか、欲求として"静けさ"を求めるときがある。
素材を活かした料理や薄味で勝負する和食の料理人の気概みたいなものだ。抑圧をよしとせず、
自由と解放を求めるが故に、それは得てして我侭やエゴという形で顕れるのかもしれない。

さて。以前テレビのドキュメンタリーで、パイプオルガンの修理工を取り上げていた。
ニューヨークのとある古い教会に設置されている古いパイプ・オルガン──────
そのオルガンは他の教会のそれと比べ、幾分小さい。それには理由があって、
設置された当時のNYは今のNYと比べてもっと街が静かだったからだという。
その話を日本に置き換えて考えてみると、例えば、寺の鐘がそうかも知れない。

そもそも日常生活の中で、古来我々が大きな音を必要とする時とは如何なる時だろう。
また音響技術が飛躍的に発展する前 産業革命以前の時代は、今日における『騒音』と
いう概念は無かったのかも?また産業革命以前の時代、一番大きな音は何だったのか?

今回のインタープレイは上記の文章を今回のフィールド・ワークのカギとし旅立った。
目指す地は代々木上原に在る東京ジャーミイ、そして芝の増上寺と定めた。

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【 Tokyo Camii & Turkish Culture Center 】
~東京ジャーミイ、トルコ文化センター~

代々木上原にある、トルコ共和国の援助のもとに建立された日本最大のモスク。
澄み渡った青空に映える白亜の建物。普段見かける時よりいっそう大きく、白々と輝いて見える。
その前の路上に、一見してイスラム教徒と分かる異国の人々の姿。その瞬間から我々一行は、
普段の東京とは全くかけ離れたイスラームの世界へと踏み出した。

その日はG.W.だったためか優に200~300人近いの人々が集っていた。その熱気と活気は
宗教施設というよりは「町の大きな集会所」といった趣で。皆、楽しそうに談笑している。
その力強いエネルギーに圧倒されながら、我々は2Fのモスク入り口へと向かった────

2Fの様相は、我々の想像と違ったものだった。楽しげに嬌声を上げながら走り回る子供たち。
その様子を優しく見守る大人たち。そのうちモスク前は記念撮影大会さながらの様相を呈してきた。
デジカメを片手に、余所行きの服を着た我が子を写真に収める親御さんたちの姿。よく発表会等で
見かける風景の様な和やかな空気。その微笑ましさにつられ、我々も失礼して一枚だけ撮らせて頂いた。


…モスク内部に入り、床一面に敷き詰められた緑青の絨毯や美しい建物の装飾に目を奪われる。
異文化圏の我々にとっても、此処が厳粛な場所であり その宗教が持つ世界観の一端を、
自らの肉体をこのモスクに置くことにより感じることが出来た。やがて礼拝の時刻となり
スピーカーからコーランの力強い声が響き渡ると、モスク内部は更に神聖な場所と変容していった…

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【 Zojoji 】
~浄土宗大本山 増上寺~

中世以降、徳川家の菩提寺となり徳川将軍15代のうち、6人が此処の霊廟に眠る地。
三解脱門(さんげだつもん)を抜け大殿(本堂)に入ると、丁度法要が始まった所だった。
僧侶が4、5人づつ両脇に座り、中央には高僧が座についている。こちらはスピーカーの類は
一切使わず、代わりに全員揃っての読経が香の焚き染められた建物内に響き渡っていた。

先程のコーランに比べ、単調なリズムと2度程度の音高しか持たない読経。それは一聴すると
例え様も無く退屈なものかもしれない。しかし 香の中でこの読経をずっと聴いていると、
一種のトランスめいた、アジア文化思想的な何かが仄かに立ち顕れる様な心持ちになった…

…法要を見学する前に、我々は鐘楼堂に立ち寄った。夕勤行に合わせ鐘が衝かれるのだ。
HPによると『その鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、
人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもあります
』とあり、また『江戸時代の川柳には
「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」
「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、江戸っ子鐘と親しまれています
』と記載されていた。



上の図にあるグラフは、増上寺の鐘の音を視覚化したものである。縦軸が音量(音圧レベル/DB)を横軸が時間(秒/second)を表す。 図を見ると始めのほうに大きな塊の部分ある。これは棒で鐘を衝く際の打撃音である。つまりゴォ~ンのゴの部分である。 その後に連続する波形が長く現れる。こちらは音の余韻部分に相当する、ォ~ンの部分。余韻は約30秒ほどかけてゆっくりと減衰していくのが分かる。余韻は耳で明確に聞き分けらるような音ではなかった。おそらく低周波の音だからだろう。それは体全体で振動を受けるような 種類の音だった。耳には聞こえないけど体で感じる音。
PCのソフトを通じて初めて分かった" 音 " の姿だった。



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~終わりに~

宗教と芸術との密接な関係。
それは音楽のみならず絵画、彫刻、建築などが複雑に絡み合っている。

これらの芸術作品が宗教に与える影響とは────────
人間の五感を総動員しての" 演出効果 "なのかも知れない。

信仰を持った人々の真摯な祈りの姿と
彼等を庇護するかのように包み込む粛々とした祈りの場。
今回訪れた2箇所共、其処に偶然入り込んだ我々に対しても
暗黙の内にその世界の一端を垣間見せてくれた。



今回もまた 出発当初の目論見から随分とアウト感がするレポートとなってしまったが、
アナヨル流フィールド・ワークとは結論を求めるのではなく、知への探求であり
頭に思い描いた仮説・疑問をその現場に赴き体感し感じ取ることが目的だ。
今回のフィールド・ワークは音楽や音という物を民族学、宗教学、更には
天文学や数学的な角度からも考察出来た事が最大の収穫だったと思う。





※注※
本ページの中で、事実と異なった意見、若しくは関係各位の方々に対し失礼な表現が
在るかも知れませんが、しかしそれは我々が現場で感じた事柄を正直に悪意を持たず
書いている事を読者の方に理解を頂き、そして純粋に楽しんで読んで頂ければ幸いです。