5/23/2010

ブッツァーティ 著 『 七階 / Sette piani 』



戦慄の幻想文学 『七階 / Sette piani 』
 

【 Sette piani 】
ディーノ・ブッツァーティ──1906年、北イタリア生まれ。
イタリア文学界における特異な存在である。
その作品はこんにちにおいても異彩を放つといわれる作家だ。 

郊外のとある療養所を舞台にした『 七階 / Sette piani 』
──── 軽い微熱を患った男が、より精密な検査を受けるまでの
一時的措置という理由でひとつの病室をあてがわれて物語は幕を開ける。

その白い外壁をした七階建ての療養所は、一見すると
有名ホテルを思わせるような外観をしているが、
少々、変わった運営システムを採用しているのだ。
・・・・・・
入院患者はそれぞれの病気の進行や症状の程度によって、
各階に振り分けられて整然と事務的に管理される。

つまり、最上階の七階はごく軽い症状の患者たち。
六階は重症ではないものの決して侮るわけにもいかない患者たち。
五階になるとそれなりに深刻になる・・・という具合に、
一階下がるごとに症状は重くなっていくという。

現実と幻想の世界が交錯するかのような療養所、そのビル最上階にある
七階の病室は、まさに不可思議な世界への船着場ともいえるだろうか。
・・・・・・
男は精密検査の結果、最初に来たときと同じ七階の病室に留まる。
だが・・・次第に不安と悪い予感が頭をもたげてくるのだ。
やがて何日か経ったある日、男のところに階の責任者がやって来る…
申し訳ないが二人の子供と母親の為に部屋を替わって欲しいと言うのだ。

「 では、異存がなければ、一時間後に
部屋買替えにかからさせていただきます。
下の階に下りることになりますが …… 」
最後のひと言を、ごく些細なことであるかのように
小さな声で言い足すのだった・・・

【 Dino Buzzati 】
ブッツァーティはミラノ大学の法学部在学中に兵役に就き、
卒業後にミラノの新聞社に入社している。その当時、
植民地であったイタリア領東アフリカ(エチオピア)への特派員や
海軍巡洋艦の従軍記者など経てから作家としてデビューしている。

彼の作品に潜む不条理や人間の滑稽な振る舞いに対する皮肉めいた視点には、
ジャーナリストとしての資質が関係あるのではないかといわれている。

「 幻想物語を書くときも、それがあたかも実際に起こった事件のように  
書くことにしている。テーマが幻想的であり、あり得ないことであればあるほど、
より平易な、まるで警察の調書並みの事務的な言葉遣いが必要となってくるのだ。
このような明確な言葉遣いによってのみ、それ自体は馬鹿げたストーリーに、
説得力を持たせることが出来るのだから 」 ~ 関口英子訳『 神を見た犬 』 解説より ~


ブッツァーティは本人曰く「骨の髄まで悲観論者」だそうだ。
冷たいタイル貼りの壁と殺菌された器具が並ぶ療養所の病室──
そこに閉じ込められた男の悪夢のような焦燥のストーリー『七階』。

この作品で描かれた、人間がもつ可能性が見いだせなくなる状況、
或いは同時に必然性においても絶望するというような境遇は、
キルケゴールの”可能性の絶望”『死に至る病』に影響を受けたのだろうか?
もっとも、ブッツァーティは実存主義に対しては批判的だったようであるから
僕の思い違いかも知れないが…。

晩年のブッツァーティは文筆以外にも創作の場を拡げて、
詩集の発表や画家としての活動に熱心だったようだ。
また、六十歳のとき結婚。彼にとって母親以外の女性と
暮らすことは、この時が初めての経験だったという。


text and illustration by gkz


参考資料
『 神を見た犬 』ブッツァーティ 著 関口英子 訳 光文社


『 七階 / Sette piani 』 (1942) ディーノ・ブッツァーティ / Dino Buzzati
後に 『 とある臨床例 / Un caso clinico 』 (1953) として戯曲化。
また 『 鼻の鳴る音 / Il fischio al naso 』 (1967) として映画化とのこと。