6/07/2010

裏インター・プレイ



今回は先月更新したinterplayでの「宗教と音楽」について「キリスト教」テキストとして少し考えてみた。
因みに最初に断っておくが私はある特定の信仰はなく「単純に音楽と云うものを史観的に遡り様々な角度
から現在までどの様に発展・進化していったか?」を目的としている事を述べておきたい。


先ず「宗教と音楽がどの様に結びついたか?」を考えにあたり、
「キリスト教音楽の起源」から…と調べてみたものの実は、何処で、何時頃、どの様に発生したか?
殆ど何も判明していないそうです(9世紀辺りから具体的な音楽資料が出てくる程度!ちょっとビックリな感じしません?)
元々、キリスト教はユダヤ教の延長線上に発生した信仰なので、恐らくユダヤ教音楽をそのまま受けずいたと思われるので、
ユダヤ教音楽について探って行けば…とりあえず…初期キリスト教について(汗)


イエスが十字架にかけられ死後3日で復活し弟子たちに様々の事を伝え40日目に昇天し、更にその10日後弟子
たちの上に聖霊が降り、弟子たちは「異国の言葉で話す力」を与えられた。
そして弟子たちは各地で布教活動を行ったのがキリスト教の出発点であろう。
地方によって風習、言語、礼拝も異なっていたものの旧約聖書を唱えイエスの言葉を伝承しつつ神を称える
点では共通していたと思われます。


聖書の言葉を【口伝】と云う方法で伝えてた時代の為、ただ唱えるより【節(ふし)】をつけ人々の耳に残
るように、そしてその節に合わせその地方特有の旋律が付いてゆく。
更に「詩編や賛美」などは声を挙げて歌うようになって行く…もしくは単純な節のみで…時にはユダヤやア
ラブ文化の影響を受け装飾的にな旋律で…恐らくこんな具合で【聖歌】が誕生したのでは?と考えられている。



ここで注目したいのは【楽器を用いた事】と【楽器を用いる事を禁止した事】という記述された資料が発見されていない事、しかし「ヨハネ黙示録」の中で【キタラ】と言う楽器で伴奏されたと思われる記述もある。

しかし中には楽器の伴奏を禁止した例もあり、東方教会では今日に至るまで聖歌は無伴奏で歌われており、中近東やスラブ地方の教会等でもその名残を受け継いでいる所も有るようです。(個人的にはパイプ・オルガン等の伴奏が付くもの、と思っていました)

角度を少し変え当時の時代背景はローマ帝国:皇帝ネロの時代であり周知の通りキリスト教は弾圧・迫害を受けていたが、しかし、コンスタンティヌス1世が帝位に付くと状況は一変し、帝国公認の信仰となりやがては帝国内唯一の国家宗教と定められローマ帝国がオスマントルコ帝国に滅ぼされ迄続きキリスト教音楽は更に発展・進化してゆく。

その裏側には絶大的国家権力の後ろ盾があり、政治力、軍事力と同一に扱われる程メンタル的な力を必要とされていた事を忘れてはならない。




この様にしてヨーロッパ全土に典礼や聖歌が各地各様に発展・進化して行く訳であり、布教と言う面では目的が達成されて行くのだが、その後それを統一した物(ローマ教皇公認の)典礼・聖歌を定めようという動きが出てくるのであった。

その為には聖歌を歌う為の「訓練」が必要となりその「教育機関」が確立されていくと共に、多くの理論書、典礼書そして聖歌集が筆写され、旋律を書き留める【ネウマ譜】と呼ばれる【楽譜】が登場してくる。

しかしながら、やはり地方によってバラつきがあった様で今日のような「五線譜や音階」など様に共通な物が登場するのは、ずっーと、ずっーと後になるようで…。



2つ目に「芸術作品が宗教に与える影響とは人間の五感を総動員しての" 演出効果 "なのかも知れない」点について。

まず、【トロープス】と呼ばれる手法の登場によって演出効果上がったと言っても過言ではない。「トロープス」とは当時存在した聖歌の旋律に「新しい歌詞を書き加えたり」、「1部の旋律を繰り返して、より長い歌詞を付けたり」更には「新しい旋律を新しい歌詞付きで書き加えたり」という手法である。

主を賛美するにあたり、そのままの聖歌ではなく「心を込めて何か手加える」と言ったメンタリティーに因るものではなかったのではないだろうか?

そしてこの「トロープス」の重要性の例として、ミサの冒頭で歌われる「入祭唱」に付け加えられたトロープスである。ここでのトロープスは「そのミサがどの様な趣旨で、更にその内容を詳しく説明する」役割を担っていた。


例えば、イエスが誰に向かい、誰に呼びかけて、そして誰がイエスに答えている様な聖歌では、【対話調】な…要は【セリフ】的な使われ方をしていた。その後は舞台装置を用意する等、当初の「入祭唱」とは別な宗教的音楽劇【典礼劇】へと発展し、
一方では礼拝とは無関係な音楽劇が聖職者の手から職業的芸人へ、セリフも教会で使われていたラテン語から一般的に使われていた言語となり、舞台装置や衣装も大掛かりなものとなり大衆化されて行った。


ざっ、とであるが「宗教と音楽」の結びつきからその進化を書き連ねたのであるが、上記の文章はまだ入り口の辺りで この後、長い年月を経て現在の音楽に至る訳で。(十二等分平均律なていうものは、ずーーーーーーーっと後の話)

楽譜(記譜方法)やMP3レコーダー等無い時代、当時素晴らしい音楽を再現する為各々の人が知恵や工夫を凝らした…。
イメージ(妄想)を膨らませて音楽を楽しむのもまた楽しいもので。




【参考資料】
・キリスト教音楽の歴史(著:金沢正剛 日本キリスト教団出版局)