12/20/2010

映画 ロッキー・ホラー・ショー / The Rocky Horror Picture Show


The Rocky Horror Picture Show (1975) written by Richard O'Brien【女装/ドラァグ・クイーン】

はじめに昔の話。僕の中ではちょっと前の話だが────
1990年代の真夜中の東京。新宿二丁目や渋谷の円山町といった
猥雑なエリアのクラブではよくハウス・ミュージックやテクノ
といった流行の最先端の音楽とともにタトゥーやボディ・ピアス、
SMショーを売りにしたイベントが数多くあった。

その当時、怖いもの見たさというのか…… 好奇心も手伝って
幾つか観に行った覚えがある。そして中には出演者なのか?どうなのか、
たいていどのイベントにも決まって女装した人が居た気がする。すごく曖昧だが……。

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【道化としての女装】

濃い化粧と派手な衣装で身を纏い、それこそ美しく着飾っていたが、
皆、ヒールを履くからだろう。どう見ても背が異様に高かったから、
傍目にも女性ではないことが分かった。

それでも満面に笑みを浮かべて、はしゃぐ姿は、見ていても
なんだかとても楽しそうだった。と、そう記憶している。
その嬌声は多少なりとも…… 野太い声ではあったが────。

The Rocky Horror Picture Show (1975) written by Richard O'Brien【ハレの日の舞台効果としての道化者】

作家・大竹昭子の著作『図鑑少年』の中に、路地裏にある
薄暗いバーでの不思議な出来事を物語にした短編がある。
”赤い爪”というタイトルだ。その作品の中では作家である主人公が
ひょんなことから女装専門誌に載ってた一枚の写真を思い出すのだ。
少し引用してみる────

” それにしても不思議な色気が感じられる写真だった。
一度見たら焼き付いてしまうような輝きを発していた。

妖艶でありながら、うららかさが漂っていた。張りつめた緊張が
生気となってほとばしり出ていた。神経が服を着て歩いているような
あの男が、こんなに快活な表情を見せるのが信じられなかった。

女の格好をするだけでこんなにも生き生きするものだろうか。
私は見知らぬ世界に踏み込んだようなたじろぎを覚えた。 ”

~ 大竹昭子 著 ” 赤い爪 ” 『 図鑑少年 』 小学館(1999) より ~


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【穢れかそれとも畏敬か】

普段は几帳面過ぎてどこかピリピリとした ~ そんな他人に対して
窮屈そうな印象を与える男。ここではそんな彼の豹変したような姿と
それに驚く作者の心理状態の丁寧な記述が面白いと思う。

The Rocky Horror Picture Show (1975) written by Richard O'Brien【道化の社会史】

ここでいったん、ヨーロッパ中世での祝祭での道化者たちについて
記述があるので紹介したいと思う。『道化の社会史』 S・ビリントン 著
 石井美樹子 訳 平凡社(1986)より引用────

” 今日まで、多くの村や町に、正道をはずれた習俗が存続している。
そういうところでは、あらゆる聖祭日に、奔放な女たちや馬鹿な若者たちが
集まり、教会の庭で、淫らで悪魔が喜びそうな歌を夜通し歌う。そして、
輪踊りを率いて教会堂の中に入り、恥知らずな遊びを繰り広げる。 ”
Thomas of Chobham,Summa confessorum, 英国 神学者 トーマス『告白大全』(1220)

聖職者と俗人の道化集団────はたして教会の暗黙のもとで
行われる祝祭があったというのだろうか……。どうだろう。

これとは別に1280年頃、フランスの神学者が道化には共通の
要素があるという論文を書いている。それによると、
あらゆる罪は内面と外面の両方の形であらわれるということだ。

例えば最大の罪である「傲慢《プライド》」には二つの外面的な
特徴があるという。一つは身を飾り立てることであり、
もうひとつは身を露出することである。

ヨーロッパ民衆文化史への理解には自信が無いが、
うん。これは何だか分かるような気がする。

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【乞食者《ほかいびと》と共同体】

更に────、田之倉 稔の著作 『ピエロの誕生』
朝日新聞社 (1986) によると道化について興味深い意見が
書かれている。次に間単にまとめて紹介してみよう。

The Rocky Horror Picture Show (1975) written by Richard O'Brien【漂白の芸能者】

道化とはハレの日の舞台効果を増幅させる役者として
共同体では不可欠な存在として認識されている。
排除されるだけではなくそれらは赦される。

なぜなら彼らが定住することのない漂白者、負の世界のヒーロー
としての芸能者であり、共同体を喪失した敗者であるからである。

それは祭り捨てのようでもある。人々はたとえ意識せずとも道化の姿に
”罪・汚れ・災い・悪・影”の匂いを嗅ぎ取っていなかったはずはあるまい。
すなわち共同体の災いを背負って去っていくスケープ・ゴートである。

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そして田之倉稔は道化に対して”憐憫”という単語で考察を続ける。
引用してみる────。

” これは憐憫という社会的に優位にあるものに認められる情動であろう。
それは一方で自らの定住性にたいする確認でもある。

われわれの共感は定住者の贖罪の意識と自己の位置の正当性の
確認からきている。「ほかいびと」と古代の共同体との関係は、
現代にあってもなお、その傷跡を残していることになる。 ”


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長くなりました。いつも引用ばかりですいません。
拙レビューを読んでいただきありがとうございます。
最後にもうひとつ引用を……

” そしてこんにち地球の表面には
人間と呼ばれる生き物が 
ひしめき、はい回っている

時間の中を 宇宙の中を 
そして意味の中を ・・・ ”

映画 ロッキー・ホラー・ショー より


by gkz