3/07/2011

自筆の歌詩に込めたもの、アレンジに込めたもの

以前「楽譜についてそこはかとなく思うこと」内で少々無茶な主張をした事があるが、
この前エントリーした田村仁さんの写真展エントリーに付随してもう少し。それから、
その後のマキさんに纏わる話をもう少しだけ。



浅川マキによる自筆の歌詩「グッド・バイ」を見て

照明の写り込み、スミマセン…(撮影許可済)

上の写真はその時に展示してあった「こころ隠して」のマキさんの自筆による歌詩だが、
他にも何曲かの自筆による歌詩がファィル・ホルダーの中に入っていた。その中にアル
バム「マイ・マン+1」の中に収められている「グッド・バイ」の歌詩があった。

この曲の後半部分に「自分にさえも さよならした」という歌詩がある。レコードの中で
マキさんは後ろの辺りをもやもやと揺らぐ煙の様に唄っている(確か、ライブでもそんな
感じで唄っておられたと思う)。その箇所に目が留まった。そこには、こう書かれていた。

自分にさえも  さ、 よ、 な、 ら、 した  


それは、「さよなら」の言葉を意識的にこの言葉を一音節づつ離し、
読点までもがくっきりと書かれた自筆歌詩だった。

曲を演奏する際、いつもいつも曲中の重要なフレーズや気持ちの入った箇所を
そのままストレートに強く弾いたり(又は唄ったり)する事は、実はそんなに
多くない。曲中 本当に重要(だと自分で思う)な部分に関しては、敢えてその
箇所を逆にピアノ(音量を弱く)で演奏したりすることの方が多いように思う。

マキさんにとってのそれが「グッド・バイ」のこの部分であったのだ、
と彼女の自筆の歌詩を見て初めて気付く思いがした。


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一里塚

浅川マキさんに関する催しはこれで一段落なのかな、と思っていたら、
北國新聞社 富山新聞社のサイトにこんな記事を見つけた。(3月4日15時05分付)

アングラの女王、浅川マキさんの願い
後輩が「地元ライブ」 白山市であす 残された曲披露

1960~70年代に「アングラの女王」として若者の支持を集め、昨年1月に他界した歌手浅川マキさん=
旧美川町出身=をしのぶライブが5日、白山市内で開かれる。 旧知のミュージシャン2人が残された曲を演奏することにしており、準備を進める関係者は「天国のマキさんに恥じない音楽を届けたい」と、 まばゆいスポットライトをあえて避けるように歌い続けた女王の面影を追っている。会場となる白山市幸明町のライブハウス「溜まりBAR夕焼け」の店主、本保和之さん(46)が、浅川さんの生前に実現を願いながら果たせなかった「地元ライブ」の実現に奔走した。 本保さんは、音楽を通じて交流があった「めんたんぴん」のギタリスト飛田一男さん=2008年他界=から、 共演者をおじけづかせるほど強烈なアドリブ演奏など、浅川さんの話をよく聞かされていた。生の歌声を聞くチャンスは永遠に失われたが、 本保さんは「追悼とは言いたくない。少しでも多くの人にマキさんのことを知ってほしい」と願う。 ライブに出演するミュージシャンは、金子マリさんとピアニスト渋谷毅さん。2人とも浅川さんのツアーに参加したことがある。 金子さんにとって、迷った時、何時間も相談に乗ってくれた浅川さんは「尊敬する数少ない先輩の一人」だった。 「浅川さんが静かに眠っていらっしゃる故郷へ渋谷さんとご一緒できることは光栄の一言に尽きます。 後輩として少しでも近づけるよう精進していきたいと心に決めています」と、ライブに臨む気持ちを明かした。 ライブ「MARI SINGS ALONG WITH SHIBUYA SAN」(北國新聞社後援)は、午後7時半から。 浅川さんの曲「それはスポットライトではない」などを演奏予定。


もう終わってしまったライブの告知で恐縮だが、ライブ迄の経緯が書かれている
ので記しておこうと思う。彼女は「アングラの女王」ではなくアンダーグラウンド
に棲む人だと思っているが、それはさておいて盛況であったのだろう、と思う。

またFM cocoloという大阪のインターネット放送局では日曜深夜24:00-25:00に
Pranksters' Nightというプログラムがあって、先月の特集として「こんな風に
過ぎて行くのなら~浅川マキに捧ぐ」( ゲスト:久場正憲、渋谷毅、寺本幸司)
という番組を毎週放送していた。これは関東在住&PCスキル不足というこちら
の情けない事情で、結局全く聴けずに終わってしまった。。。

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結局、「浅川マキの一周忌」というものは誰にとっても単なる一里塚でしかなくて、
上文中にある本保さんの言葉や金子マリさんの言葉にもあるように(そして年末に
渋谷さんが言っていた様に)、マキさんを知る者にとっての " それぞれのマキ像 "
をそれぞれの形で確かめながらこれからの時を過ごして行くのだなあ、と改めて思う。

そう言えば去年暮れのマキさんに捧ぐ3日間の時、渋谷さんがステージ上から
「もしかしたら、また来年も…」的な事を言っておられた事を思い出した。


又渋谷さんは彼女の生前の頃から今も変わらず「マイ・マン」をよく
とり上げていて、幸い幾度か聴く機会に恵まれている。

そのアレンジだが、イントロ~ヴァース部分に関して変えて弾いていても、
Aメロ~エンディングにかけては、たとえソロピアノであっても渋谷さんは
マキさんと一緒に演奏していた時その儘のアレンジを保っておられる。



by 電気羊