Interplay ロング・グッドバイ-浅川マキの世界-として新宿タワーレコードでのインストア・
イベントの様子をエントリーしたが、今回は二つめの写真展の様子を記してみようと思う。
2011年2月10日(木)~2月15日(火) 於:新宿紀伊国屋画廊
紀伊国屋書店の画廊は、紀伊国屋ホールの入り口脇だった。マキさんの3枚目のLP
" MAKI LIVE "(72.03.05 TOCT-27043)や、その後の" 夜のカーニバル "(89.04.26
CT32-5421)などで当時の様子を想像するしか無い者にとって、ルピリエや紀伊国屋
ホールは少しだけ知っているようで、しかし遥かに遠い場所だ。。到着したのは夕刻
で、ホールで上演中の出し物の当日券を求める人々がそこかしこに並んでいた。
~入り口脇より。受付横には大き目のパネル、奥にポートレイト群が少し見える~
大きいパネルは所謂「広くイメージされる浅川マキ」その儘だ。計算された光と影の
コントラストの中に佇む「歌手・浅川マキ」。その切り口は、やはり首尾一貫している。
~係員の女性に撮影の意図を伝えると「パネルだけなら」と許可を頂いた~
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興味深かったのは、数多く展示されていた四切程の大きさのポートレイト群だ。花園神社
でのライブ風景やルピリエ(と思う)でのショット、文芸座前で開場を待つ若者達・・・
70年初頭の様子を音源で偲ぶしか無かった者にとって、視覚でもライブの空気感や
彼女を取り巻いていた時代の香りを感じる事が出来るという事に、嬉しさを覚える。
それらに混じって、オフ・ショットも展示されていた。何処か大学でのライブ前後、
楽屋代わりに使われた部室で共演者と談笑するカット、恐らくは六本木にあった
マキさんの事務所兼自宅と思しき部屋の一室を、無造作に切り取った様なショット。
それらはステージ上で見せる、皆が思い浮かべる「浅川マキ」とは違う、
リラックスした様子のマキさんが笑顔で、チャーミングに収まっていた。
そんな彼女の表情から、田村 仁さんに寄せる信頼感を思う。
他にも厚めのファイル・ホルダーが展示室中央に置かれたテーブルの上に
ドンと置かれていて、それを開けて見ると更に夥しい数の写真が入れられていた。
思わず1ページ1ページじっくりと見始める。時間が飛ぶ様に過ぎる。
係の女性に「閉館の時間なので…」と申し訳無さそうに話し掛けられ、
ハッと頭を上げると展示室には誰も居なくなっていた。
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少しばかりの名残惜しさを押さえながら、礼を告げ展示室を後にする。展示室の
真向かいには、70年代初頭~平成迄の様々な公演、ライブ告知のポスター、
雑誌の記事や歌詞の元原稿、等々が隙間無くびっしりと貼られていた。
~ごく一部だが、ガラス張りのショーケース越しに何枚かを撮らせて頂いた~
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その中の一枚に目が留まる。マキさんのライブに行くと毎回
パンフレットを頂けるのだが、その原稿の直筆だ。タイトルに
浅川マキ・公式ホームページ
━━━━浅川マキの世界━━━━
『ちょっと長い関係のブルース』
とある。彼女のホームページが作られた経緯と心境が端正な字で
綴られている。その文章を此処で紹介させて頂く。(全文儘)
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…そう云えば、何時の頃だったか、ある年の大晦日ライブのパンフレットに
「HP内のメールでのお便りのコーナーを閉じさせて頂きます、今まで有難う」
と云う様な内容が書いてあった気がする。また彼女は実際に、数多く寄せられた
メールに目を通し、時には返信もしていた、と何処かで聞いた事を思い出した。
また、先程の彼女の文章の最後にはこう記されていた。
追伸、 画面に現れる写真群。長い月日を撮り続けて下さった田村 仁さんを想う。 |
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──────それらをぼうっと眺めていると、周囲に居た人々が
一斉に動き出し、あっという間に辺りが賑やかになった。
その期待感に満ちたざわめきは、先程まで写真の中に居たルピリエや
紀伊国屋ホール、大学の講堂へとマキさんの唄を聴こうと意気揚々と
集う若者たちと見まごう程に、奇妙にオーバーラップして目に映った。
…否、どうやら紀伊国屋ホールの開場時刻らしい──────
沢山の写真や資料を飽かずに眺めるうちに、何時の間にか70年代へと
溶け込んでしまっていた自分の中の時間軸が、一瞬にして現在に引き戻
されてゆく。ガッカリ、と云う程では無いが、些か残念な心持ちが後を曳いた。
by 電気羊