4/11/2011

そして、ひと月が過ぎた朝に



このひと月の間、色んな物を見た。

様々な物が買い占められ、瞬く間に空っぽになった陳列棚。
ガソリンを、米を買おうと並ぶ人の列。
「在庫ナシ」の表示が並ぶ、通販のサイト。
疎らに来る電車に殺到する群衆、強張った顔、顔。。

そして、色んな人を見た。

茫然と立ちすくむ者。我が子の為に水を求める若い母親たち。
悲嘆に暮れる者。PCに釘付けとなり、自分を見失う者。
執拗に安全だと触れ歩く者、同様に始終危機を叫ぶ者。
政府や企業に憎しみをぶつける者、不自由な日常に不満を漏らす者。

団結を呼びかける者、温かい手を差し伸べようとする者。
先の見えない不安や焦燥感に駆られ逃げようと画策する者。
諦める者。そして、少しづつ再生へ歩もうとする者。

そして、このひと月の間に
全ての人をうっすらと覆うある物の存在を感じた。

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SURVIVOR'S GUILT(サバイバーズ・ギルト)
ほんの少しの差で生き残った者が感じる、死者に対する否応無い罪悪感。
それはAmazing Grace(リクエスト・ノートより Ⅲ)で書いた知人の姿にも重なる。

今回の場合、災害を目の当たりにした時の圧倒的な無力感と「もしかしたら
助けられたかも知れない」「もしかしたら防げたかも知れない」と思う自責の念が、折からの
"節電"というキーワードに乗って次第に"自粛ムード"へと変化していったのだと思う。

また人に依っては自虐に陥る原因となったり、他者への攻撃性を増す原動力や
"不謹慎" "自重"といった他人の放縦を許さぬ言動となる場合も散見された。

拙ブログも、或いはそうだったのかも知れない。
その結果、毎週の更新が大幅に滞る一因になったのかも知れない。

しかし、ひと月が経った。
少しづつでも以前の生活を思い出し、そこに還ろうとする事が
大切なのかも知れないと思い、今回の選曲となった。

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" грузинская песня(1967)"
булат окуджава

グルジアの歌 / 作詞&作曲 ブラート・オクジャワ

ロシア語で「バルド(Бард)」と呼ばれる音楽ジャンルがある。日本では
"シンガー・ソング・ライター"がそれに近いが、元々は吟遊詩人を差していたようだ。
フランスのシャンソニエで歌を歌うスタイルと元々根付いていたロシア民謡の
ミクスチャーとして誕生したバルドは、受け入れられていった、大衆歌だ。

オクジャワ(1924-1997)はバルドの先駆けとなったミュージシャンだ。彼はロシア国民に
広く支持された人だったが、その理由はシンプルで美しい楽曲にあったのだと思う。また
彼は 市井の人々の何気ない暮らしぶりや日々の営みを見つめ続けた人であった。

彼は表現者として余りに不自由な体制下にあっても、200余の楽曲を遺した。
当時の音楽家の例に漏れず彼の楽曲はソヴィエト政府に冷遇され、かなり長い間
正式にリリースされる事が無かった。彼の曲は支持され、その演奏は人から人へと
繰り返しダビングされたカセットテープを通じて次第に全土に広まっていった。


グルジアの歌
" грузинская песня " (YouTube)


葡萄の種を暖かな大地に埋めよう
蔦と熟れた房に口づけよう
そして友を呼び、心に愛を湛えよう
それ無くして、何のこの地上の命

~中略~

妻がドレスを身に纏い 私のために歌う
私は彼女の前に頭を垂れる
愛と哀しみに息絶えても構わない
それ無くして、何のこの地上の命

陽が傾き 大地の隅々に光を投げかけるころ
思い出が幻となり 幾度となく目に浮かぶ
青い水牛がゆっくりと行く
白い鷲、金色の魚が跳ねる
それ無くして、何のこの地上の命

それ無くして、何のこの地上の命
(かなり大雑把な対訳by:電脳羊)

決してドラマティックではない、当たり前の素朴な生活。
そこにある、密やかな感傷や内なる声。そして希望。
そんな一つ一つこそが愛おしむべき存在であるという彼の眼差しが
そのまま曲や歌詞に落としこまれた豊かで美しい楽曲だと思う。


by 電気羊


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長らく更新が途絶えてしまった拙ブログ…
本当に少しづつではありますが、更新を再開するつもりです。
(もしかしたら今後も予告無しに更新が遅れる事も有るかもしれませんが…)
これからも、アナヨルをどうぞ宜しくお願い致します。