7/10/2011

In roman history,
the final years of the Edo period.



七月某日 散文

先日、珍しく部屋でTVをつけた。一人暮らしだと食事の時は特に雰囲気が味気無いので、音楽は勿論、僕はよくラジオを聴いたりするのだが……、その時はたまたまTVだった。ちょっと脳を緩くしたい、カッコよく言えば思考の方向転換でもしたかったのだと思う。

それにしてもケーブルTVは通販の番組だらけだ。そういえばデジタル放送になって画質が綺麗になったのは良いが、リモコンの配置が変わってしまっていて困る……。

それでNHKのBSだか何かだったと思う、幕末をテーマにしたドキュメントを放送していた。そこには「会津藩が外国と同盟を画策」───とあった。ふうん。薩長がイギリスで幕府サイドにはフランスが肩入れしてたんだっけ?その話かな?と思っていたらこれが違っていたのだ。


Aizu Domain - Königreich Preußen Alliance

同盟の相手は「鉄血宰相」と呼ばれたビスマルク (Otto von Bismarck) のプロイセン王国(のちのドイツ帝国)だという。事実としてプロイセン側は大量の銃を会津に補給して軍事支援を行っていたのだ。のみならず、蝦夷地(北海道)の租借・割譲にまで話は進展していた───というから僕は少し驚いた。

野心と策略を弄する会津藩士!?今まで歴史の教科書やその類い、漫画やドラマや映画、あるいは司馬遼太郎先生の本にはそんなふうには書いてなかったと思う。

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幕末期という物語の造型上において───会津藩といえば新撰組と見廻組の元締め───9代目藩主の松平容保が率いる京都守護職のケルベロスな番犬「治安維持部隊」的イメージと、どこまでも義に殉ずる奥羽列藩同盟と白虎隊に代表される頑固で保守的な武士像を思い浮かべるものだ。

彼等は劣勢に回り、敗色濃厚な気配と絶望の淵に立たされても、士道不覚悟を許さず、保身の類いなどには一切の関心を示さず、ただひたすら戦いとその先に待ち受ける運命を静かに受け入れるのだ・・・と、そう僕は勝手に思っていた。

時代劇と史実とは違うものであるという当たり前の事に気づかされる。


そうか……確かに。現代も解らない事だらけなのだから遠い昔の事などそうそう判断つかないだろう。簡単に分からないだろう。それに史実が本当に事実であるとも限らないだろうし・・・そういえば「歴史とは=勝者の歴史」だとよく云われる。「敗者には何もくれてやるな」とも・・・これは丹下段平の台詞か。

それはそうと歴史とは時代の大きなうねりの中で生き残った側の人間が、正当性を主張する為に自分たちに都合良く事実を解釈して「正しい物語」を押し付けるとでも言えるだろうか。政治的にもよくあることだろう。

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例えば日本は太平洋戦争を境にして、戦前と戦後とではっきりと価値観が断絶している。大東亜共栄圏・五族協和・八紘一宇と日米安全保障条約・憲法9条・人間宣言、皇国史観と自虐史観、正成と尊氏は勤皇と朝敵であり云々...事実や真実とは別に歴史とは要するに社会的に要請された認識であり、思想である。限定的な価値観でしかないのだろうか・・・

と、ここまで書いてふと気づいた。僕は一体?何を書いているんだろう───あ、そう。幕末における会津藩とプロイセン王国の同盟は何故頓挫したのか?その事について書きたかった。そこからある作曲家について強引に繋げようと思っていた。その話はいずれまた・・・

by gkz