8/07/2011

Farewell...


録音された自分の声について違和感を覚えない人はいないだろう。普段の自分の声と違い、それは甲高く軽薄でぼんやりとしたまるで芯のない音に聞こえる。納得いかずにまわりの人に確かめたとしてもいつも通りだよと膠も無く返答されるはずだ。芯のない声、その秘密は骨を伝わる「骨導音」の欠如にあるといわれる。

骨導音とは声帯の振動が頭蓋骨を伝わって内耳に響いている音だ。一方、空気中を伝わる音声は気導音と呼ばれる。発声時において自分だけが骨導音と気導音の両方を聞いていて、他人は気導音だけを聞いている。認識の質が違うのだ。

録音された自分の声を聞いて心底から満足そうにした人に僕はかつて出会ったことがない。声を仕事にしているアナウンサーやナレーター、或いは俳優や声優といった方々は、きっと何度も自己嫌悪に陥りながら訓練するのだろう。それこそ録音された声が自身でも自然に馴染むように日々研鑽を重ねて、声のプロフェッショナルとしてキャリアを確立したに違いない。

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そして音楽の世界───唯一、自分の声が楽器である歌手もまた同じことに直面して悩むのだ。録音された自分の声。他の人は自然に聞こえるのに自分だけが違うように録音されている。この事柄について、浅川マキさんの著作『幻の男たち』にこんな記述がある───

”馴れればいいのよ。と、だが、言葉にはしない。そして、ほんとうはわたし自身二十年近く経ったいまでも、録音された自分の声に馴染めないでいるのだからと思う。たまにだが、良い声だと自覚しながら話したり唄ったりするひとに出会うと、わたしはどうやら好きになれない。”

と自身の見解を述べた後、好きな声について、あるひとりの俳優について話を始める。マキさん曰く「それは低く響きのある声」───原田芳雄さんについての話である。

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俳優、原田芳雄と言えば、黒木和雄監督の『竜馬暗殺』(1974)では体制に反逆する竜馬を獣の如く演じ、鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』(1980)においては、無頼派と言えばよいのだろうか……放浪し彷徨い続ける男を演じていた。いずれも忘れ難い名演だ。

上記ATG作品以外にも原子力発電所施設への無許可撮影を敢行したという『原子力戦争』(1978)がある。僕は未見なのだが・・・現在、巷で話題に挙げられている作品だ。原作は田原総一郎。

音楽について書き記すならば、”横浜ホンキー・トンク・ブルース”での歌唱といいブルース歌手としての活動については、いわゆる俳優の「お仕事」の一環で歌ってるなどという枠を完全に超えている。他にも”鏡の中のMAGICIAN”や”原田芳雄のこもりうた”等、名曲がある。

個人的には松田優作が作詞を担当した”川向こうのラスト・デイ”が一番印象に残っている。その放送禁止的な内容にも関わらず、刹那的な美しさに酔い、憑かれ、そして刹那に牽かれる魂そのものを歌った曲であると思ってる。
と、原田さんについては、まだまだ僕は書きたいことがたくさんある・・・が、ひとまず浅川マキと原田芳雄、二人が舞台で競演した夜について、長文で申し訳ないが、ここでマキさんの本から引用して今回は終りにしたい───

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にぎわい

客席は思いがけない俳優の原田芳雄さんの登場にどよめく。原田さんは片手でギターをわしづかみに、ぬそっと現れた。大歓声の中で原田さんはサングラスを取ることもなくてギターをかき鳴らして唄う。わたしはステージの後方のドラムをセットしたヤマ台に腰を下ろしている。原田さんは正面からの強いピン・スポットを受けているので、わたしからは黒い影にしか見えないのだが、その輪郭だけは細く白い絹の糸のように光った。

舞台は薄暗くて、いっぱいに並んだ楽器の他は、原田さんとわたしのふたりだけだ。わたしにはぼんやりとした灯りが当たっている。少し背を曲げて喫うわたしの煙草の火はときどき強い光を放ってたち昇るけむりと一緒に客席からは鮮明に見えてる筈だ。それが唄っている原田さんの似合った背景になっているかも知れない。
 
原田さんは数曲唄い終えたとき、こっちを振り返った。すると視界に入っているのだが、わたしは直接に見返したりはしない。それは原田さんが唄っているあいだ中も同じである。
 
原田さんはちょっと間合いをおいて言った。
「まだ、唄ってもいいのかしら」
  
わたしは、相変わらず煙草を喫っている。その目線は客席を見るでもなく、足許に落ちているのでもない。原田さんは、今度は顔を俯き加減に少し傾けるとわたしの方を覗き込んでいる。ながいことそうしている。
 
原田芳雄さんに来て欲しいと言ったのはわたしである。映像のなかの原田さんしか知らないわたしは人伝に出演を依頼した。あの男はどんなうたを唄うのだろうと思ったからだ。原田さんが唄うなら、それだけでいい、と思う。まして、ギターを弾けるなど考えもしなかった。そして今夜、なんの打ち合わせもしないで、いま、舞台の上ではじめて出会った。それなのに、わたしは優しさのひとかけらも無い、そう思ってもなにも言わず微動だにしない。
 
原田さんの戸惑いは瞬時に奥深いところにまで伝わった。客席は鎮まり返る。しばらくするとあちらこちらで低く笑う。それはこれまでに聞いたどんな声よりも低く響いて来た。原田さんは怒って、このまま舞台を下りて行ってしまうのだろうか。そのことをいまはわたし以上に客席の誰もがわくわくして見守っているように思える。
 
原田さんは、ギターをポロンと鳴らしてから、ふっと笑ったと思う。
「それじゃ、あと一曲唄わせてもらいます」
大歓声が上がった。

「リンゴ追分」と云う知られた曲のなかに原田さんの通過した世相と、ちょっぴり心情も加えて唄い終えると彼ははじめて椅子から立ち上がると去って行った。素足にインド風のそうり、いや、雪駄かも知れない。ジーンズにざっくりとした綿のシャツの長い袖を少しめくり上げていた。


浅川マキ著『幻の男たち』1985年講談社より引用

追記
この夏は色々な方が亡くなる
連日ニュースで知る度に本当に寂しく感じる

山中さんについての過去エントリーをここに記する事をお許し願いたい

※ 『 人間の証明 / Proof of The Man 』 (1977)~恩寵なる人証~