11/14/2010

~Interplay Ⅶ~ 無響室 その2



《 for maria anechoic
room version 》
渋谷慶一郎+evala


無響室という音の反響を吸収する特殊な空間に設置された24.4チャンネル
のサウンド・システム( 1周8個×3層からなる24のスピーカーと部屋の四隅に
設置したサブ・ウーハーによって構成 )は、コンピュータ・プログラムによって完全に
制御され、ストロボ・ライトの高速の明滅と共に音と光の充満する空間を構成する。
ICC ONLINE 公式ホームページより

東京オペラシティタワー / オープン・スペース
展示期間:2010年10月5日(火)―2011年2月27日(日)



このような環境の中でどの様な「音」が聴こえるのか非常に興味が湧いた。
以前、当ブログ(2009.10.言葉が消えてゆく)にて失語症の作家
:小山清について記した事が脳裏に過ぎり期待と不安が…。

係りの女性(学芸員?)からの「この作品」についての簡単な説明・
注意事項を受けた後、中へと入りこの特殊な空間に約4分間身を起き、
いつもと変わらない、普段の空間に戻る。係りの女性(学芸員?)に
「この作品」について幾つかの質問している際に自分の質問内容に気がつく。

「この作品」を何かの「アトラクション」と無意識にすり替えしていた。
実際質問した内容は、この空間に人が入った時の「生理的なデーター」
類の内容だった事に気ずき、ある「状況下の自分」を思い出した。


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「ドクゥン、ドクゥン、ドドクゥン、ッドドクゥン」
自分の血液が流れる音が聞こえる。
勿論周りには色々な音が聞こえている筈なのだが。




「ドクゥン、ドクゥン、ドドクゥン、ッドドクゥン」
頭が更に愚鈍化していゆき、
徐々に視界がボヤケて平衡感覚が鈍って行く・・・?




「ドクゥン、ドクゥン、ドドクゥン、ッドドクゥン」
更に血液の流れる音が明確に聴こえる。
・・・どこから?




筆者他の人に比べるとアルコールに対し弱く、
人並みにアルコールを飲むとこうなります(笑)。


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音は音源から同心円的に広がり、音源からの距離が近い程大きく聴こえ
逆に距離が遠い程小さく聴こえます。人の耳(聴覚)は「音・声」等から
「自分との距離」を図り外界から危険性を察知し、更に言語を用いて
他者とのコミニケーションを取る為にあると云われております。

三半規管や卵形嚢(らんけいのう)と球形嚢(きゅうけいのう)からなる
「前庭感覚器」は中はリンパ液で満たされており、体が傾くとこのリンパ液が
揺れて三半規管の根元にある有毛細胞が刺激され、傾いている「方向を感知する」
という仕組みになっています。しかし、「この作品」では音の反響を吸収する
空間の中でほぼ聴覚を失われ、更に日常の光を遮りランダムで点灯する
ストロボライトのみによって視覚を狂わせる状況である。
様は自分の置かれている点(頭上とか右とか後ろ)を失うことだ。


「失う」とは、以前は所有・存在もしくは身についてていた状況から
逆の状況、言い換えれば先天性的ではなく後天性的によるものだと思います。
先程まで当然に聴こえ見えていたものが失われる。単純に考えただけでも恐怖です。

筆者は20歳の頃、怪我により右手の中指を負傷し通常の中指に比べ非常に短く
なってしまいました。この頃今迄とは違った楽器を始めてみようと考えていましたが、
なんの根拠もなくこの怪我によって違う楽器を始める事を諦めました。
(現在はその楽器やっていますので心配なく)はっきり言ってかなり絶望的になり、
自分では性格も少し変わり、日常の些細なこと(例えば、字を書く、箸を使う等)が
「ゼロ」になったような、いや全て「マイナス」から始まるように思えました。

当時の自分はこの様な考え方しか出来ない状況でしたが、
今考えると結局自分とどう向き合いどう前に進んで行くのか。

ジョン・ケージが無響室に入り「自分と音楽」について真剣に向った
結果、2つの音を聴き感銘を受け未来の音楽に不安を払拭し
「4:33」と云う作品がうまれたのではないだろうか




この作品のタイトル【for maria anechoic room version】が
作者の本質部分を解く鍵だと。作者が「失った」その絶望・虚無。
そして経過してゆく「時間」。それらを経て、幾度かの葛藤を経て
今の現状を受け入れ、もしくは時間と共に変化していった・・・。


無響室に響く筈の無い作者の「血液の流れる心拍音」と
「神経細胞のノイズ」を確かに聴いた。


by DJ



※ 関連エントリー~ Interplay Ⅶ ~無響室
その1
その3