7/28/2011

逢坂 / Afusaka


逢坂
 
東京の神楽坂周辺に逢坂という坂がある。坂の下にある案内図のような看板の文字を読むと、「昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢よりこの坂で再び逢ったという伝説にちなみ、逢坂とよばれるようになった」とある。

逢う坂と書いて”おおさか”と読むらしい。この伝説の正確な真偽のほどは僕には分からない。東京、いや、ここでは江戸と呼ぶ方が相応しいのだろうか。中世から近世にかけて発展した江戸の街は京都に比べれば歴史の重みに差がある。ざっと800年くらい。

新興都市ともいえるから伝統というのか格式に劣る、なれば、欲しくなるのが心情だろうか?多分、逢坂の伝説はあの『小倉百人一首』や『新古今和歌集』にもある有名な歌から派生した後の創作なのだろう。平安時代の歌人による和歌はこうだ───

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸
 
Truly, this is where, Travelers who go or come, Over parting ways, Friends or strangers all must meet, The gate of Afusaka ~ Semimaru, Ogura Hyakunin Isshu

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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

江戸切絵図

僕はネット上にあった市谷牛込のいわゆる古地図を調べてみた。江戸時代末、ちょうど黒船来航から4年・安政の大獄の前年にあたる安政四年(1857)の市谷牛込の古地図を調べてみるとそこに逢坂としっかり書いてある。坂沿いにはびっしりと屋敷が並び、そこには本間鉄之助、冨松兵庫、遠田法庵、倉橋武右ェ門、、、と家主の名前が連なる。

これらは武家だろうか?それとも町衆だろうか?現在の地図と見比べて確認したところほぼ今と同じ区画に屋敷が並んでいる。現在、飯田橋と市谷の間、外堀通りの近くの逢坂。坂に沿って隣接するように建っているのが日仏学院だ。

僕は先日、たまたま演奏する機会があって日仏学院を訪れた。その時に撮った写真にこのレポートというか文章を付け足している。後から慌てて調べた事ばかりでなんとも説明的な文章の羅列になるかも知れないが・・・今回、これはこれでお許し願いたいと思う。
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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~
日仏学院

東京日仏学院───l'Institut franco-japonais de Tokyo.
明治維新、第二次大戦と時代を経て相馬男爵という人の土地となっていた場所に、昭和27年(1952)ル・コルビュジェ門下の建築家・坂倉準三によって設計され語学学校として開設された。高松宮殿下、吉田茂首相、デジャン駐日フランス大使など日仏両国の要人の臨席のもとに開校式が行われたという。

学院は当初、四角い後者と円形のホールから成るはずだったが、朝鮮戦争(1950-1953)の影響下、物価高騰の煽りを食ってしまい、坂に沿った傾斜地に校舎だけが建てられた。10年後、再び坂倉準三の手により多目的ホールをもつ新しい棟が加わり、校舎はL字型となる。その後、フィルム上映やコンサート、ダンスパーティなどが行われ、日仏学院は次第に文化活動機関としての働きも兼ね備えて現在に至ったそうだ。

ホールと映画館で行われる多様なイベント、そして図書館・メディアテークにフレンチレストランにブックストアと複合的な文化施設で、フランス文化に興味があれば一日中居ても飽きない場所だろう。緑豊かな庭も都心とは思えないほどで、とても心地良い空間だ。
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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

二重螺旋

なんでも建築の世界では”動線を分ける”という概念があるそうだ。日仏学院の建物の旧校舎側には不思議な階段がある。円筒状の塔が建物から独立して建っていて、その中に二重螺旋の構造をした階段があるのだ。一方は天窓の下で明るく、もう一方は細くて暗い。このふたつの階段は交わることなくぐるぐると上っていき別々の場所に辿り着く───まるで迷宮に迷い込むが如く。アリアドネの糸が必要だろうか・・・

先日のイベントの折には旧校舎側の教室がちょうど楽屋となっていたので、「変な階段だなあ」と思いながら何度か上り下りしたものだ。その時は詳細を知らなかった。ル・コルビュジェ…我ながら背伸びして書いてる。人間、知識が劣るならば、それが欲しくなるのが心情だろう。それはそうと、同じような階段はフランス国王が築いたシャンボール城なる所にもあるそうだ。
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Unifrance Tokyo

開校以来半世紀に渡ってこの学院を訪れた文化人は数限りない。ロラン・バルト(批評家・思想家)、ジャック・デリダ(社会学者、哲学者)、クロード・レヴィ=ストロース(社会人類学者、思想家)、、、

中でも、フランス映画の振興を目指すユニフランスという団体の東京事務所があるというから、映画関係者は流石に多いといえるだろうか。監督ではベルトラン・タヴェルニエ(ラウンド・ミッドナイト)、ジャン=ジャック・ベネックス(ベティ・ブルー)、パトリス・ルコント(仕立て屋の恋)、、、

俳優でもアンナ・カリーナ(気狂いピエロ)、シャルロット・ゲンズブール(なまいきシャルロット)、ジェラール・ドパルデュー(シラノ・ド・ベルジュラック)、ジャン・レノ(グラン・ブルー)等が講演やプロモーション活動を行ったそうである。

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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

逢う坂と書いて・・・

最後に───、冒頭の逢坂の由来や歌句を調べていた時に、僕の中である曲が聴こえていた。駄洒落みたいにそれは繰り返し繰り返し頭の中を流れていた。ここに某大衆歌歌詞の漢字改変といった戯れを許してほしい・・・

辿り着いたら独りの部屋 
裸電球をつけたけど又消して
あなたの顔を思い出しながら 
終りかなと思ったら泣けてきた

今日逢坂を後にするけど 
逢坂は今日も活気に溢れ
又何処からか人が来る 
振り返るとそこは灰色の街
青春の欠片を置き忘れた街

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by gkz