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2/26/2012

galaxy of able persons


The 7th MIFA International Exchange Festival

とかく、日々のスケジュールに追われている。気がつけば…拙ブログの更新が遅れがちだ。慌しい毎日。思えば年末もひどい有様だったのだが、今年に入ってからは特に滞ってしまっている。申し訳ないと思う。

僕はここ何ヶ月、普段の音楽生活とは少々タイプの違う分野に片足を突っ込んでいた。なし崩し的にというか、半ば、何となくそんな流れがあった。或いは、自分の能力以上の事に時間を割いていたのかも知れない。

言い訳を述べさせてもらえるならば、ただただ”時間が足りない”の一言に尽きる。

僕はこの間、多くの人と出会い、多くの物事を知った。多士済々、或いは人才済々──。幸運にも文字通り多才な能力を持った人が集う様を見られたと思う。また、音楽以外にも情熱の交感する場がある事を知った。

いずれ、ちょっとづつ頭の整理して、そのうちに書き記すことが出来たら・・・と思っている。

by gkz



10/18/2011

アメリカの夜 浅川マキ


【Day for Night】


からっぽの夢乗せて
午後の陽射し避けながら
車が軋む 爆音残す

知っているかい
あのシネマ「アメリカの夜」をさ
何もかもがブルーのフィルターに紛れている
そうさ
いま このサングラス気に入っている

~アメリカの夜 作詞作曲浅川マキ(1986)より 抜粋引用~

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アメリカの夜───というのは映画の撮影技法を表す言葉だ。それはカメラの絞りと光学フィルターの操作で露光を調節して昼を夜の場面として撮影してしまう手法のことで、day for nightと呼ばれるハリウッド映画独特の”夜”のことを指す。

つまり言い換えるなら疑似夜景のことである。一年中青空が隅々と晴れ渡っているカリフォルニアならではのアイデアだったのだろう。今ではごく当たり前の手法だろうか…。

浅川マキさんがいつからサングラスをするようになったのか・・・僕などには詳しい経緯は分からない。でも、そういえば、まだピットインが今の新宿3丁目ではなく紀伊国屋書店の裏側にあった頃、僕はマキさんに偶然遭遇したことがある・・・

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【Shinjuku Pit Inn】

その頃、僕はまだ学生だった。日頃からほとんど学校へは行かずに神保町の喫茶店や雀荘に入り浸り、時折、思いつくままスタジオに入っては漠とした空虚な時間をやり過ごしていた。ピットインへは新宿店に六本木店にとあの時期はちょくちょく観に通っていた。
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それで誰の演奏だったかはもう忘れてしまったけれど、新宿ピットインでのライブが終りしばらくしてから終演の混雑も収まって、僕は店から出ようとしていた。ビルの表に出ようとするその帰り際、人気のない階段でこちらを見下ろすように座っているひとりの女性がいた。

その人は長いコートの裾からブーツを投げ出すように足を組んだ格好で座っている。悠然と煙草を吸いながら真正面に僕の方を見ている。が、サングラスをかけていて表情はまったく見えない。どこかしら凍てつくような空気があった。

出演者の誰かを待っているのだろうか。彼女は歩いて近づく僕の存在などまったく気にも留めずに真正面を向いたまま煙草を吸い続ける───、

擦れ違いざまにサングラスの隙間を横目で覗いてみた。だが、長い黒髪の影に隠れてしまっていて何も見えなかった。その間も彼女は相変わらず微動だにせず真正面を向いたままだった・・・

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【Sunglasses】
そういえば長谷川きよしさんもサングラスをしている。デビューするまでは違ったそうだ。彼の著作によると本人はまったく気にせず、周囲の意見をよそに、むしろそのままで構わないというスタンスだったそうである。

ところが銀巴里に出演してマキさんと出会い、彼女に勧められてサングラスをするようになったという。マキさん曰く「あなたね。そのほうがセクシーよ」とか、そんな話だったと記憶している・・・。
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と、今回のエントリーは話の脈絡がないまま終わってしまいそうです。是非もなし……「アメリカの夜」はフランソワ・トリュフォー監督 La nuit américaine のタイトルとしても有名です。ですので次回は映画に続けられたらと思っています。


by gkz


参照資料
『アメリカの夜』 浅川マキ (1986)東芝EMI
『アメリカの夜』 阿部和重 (1994)講談社 


9/29/2011

子供の領分 / Children's Corner " Doctor Gradus ad Parnassum "



at Azabu-juban Patio Square

東京の麻布十番、商店街の一角にケヤキの木に囲まれた小さな広場がある。そこには小さな像が佇んでいる。詩人、野口雨情の童謡をモチーフにした僅か60センチほどのちっちゃな女の子───赤い靴の女の子だ。

Ujo Noguchi's Red Shoes

大正11年に発表された「赤い靴」。あの、なんとも哀しい歌詞は実在した少女をモデルにしていると云われている。かつて少女が暮らしていた孤児院が麻布界隈にあった関係でこの地に銅像が建てられたのだ。ただし、現在伝えられるエピソードについては創作だという異論もあり、詩の解釈を巡っては政治的な論争すらあるそうだ。

野口雨情については以前にも僕は取り上げたことがある。『 夢のシャボン玉 / I'm Forever Blowing Bubbles 』との関連性なんかをその時は考えたものだった。それでも少女への想いだろうか、それとも手放せざる得なかった母親への共感からだろうか・・・赤い靴の女の子の像は現在、麻布十番を含めて日本中で7つあるというから考えさせられる。

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Convention on the Rights of the Child

1989年の国連総会において満場一致で採決された、ある条約がある。それは子供に関する大人の責任を明言した国際的なメッセージだ。以下簡単に紹介しようと思う。

「すべての人々───あらゆる民族的・国民的・宗教的な集団、それらの人々の理解と平和、寛容と平等と友好の精神の下に、子供が自由に生活を送れるようにすること」

「子供の人格と才能並びに精神的及び身体的能力を最大限可能なまでに発達させること」


こうして改めて書き記してみると、20年以上経った今でも現実問題としては難しいのかも知れないが・・・どうだろう。理想主義的でも目標はあった方が良いとは思う。

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Doctor Gradus ad Parnassum
Claude Debussy

話は変わるが───、作曲家クロード・ドビュッシーは幼い頃、父が投獄されて小学校にも通えないほど過酷な生活を強いられたという。ひとりで里子に出されからは、無口でとても内向的な少年になったそうだ。1870年の普仏戦争(フランスとプロイセン王国の戦争)、日本では幕末の頃の話である。

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ドビュッシーはその後、46歳の時に『子供の領分』というピアノ組曲を発表している。愛娘の誕生日プレゼントとして作曲された”人形のセレナード”や”象の子守歌”といった曲が並ぶ童心や遊び心をモチーフにした作品だ。"子供の領分"は異例ともいえるほど簡素な手法で作られた作品───と専門家は言っているのだが・・・本当か。僕なんかが聴くと物凄いくらいに演奏技術が高度に感じるのだが……。

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その中の第一曲、『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』という曲があるのをご存知だろうか。この一風変わった曲名はソナチネで著名なクレメンティのピアノ練習曲から付けられたと云われる。娘のピアノ・レッスンの様子を見たドビュッシーが情景をそのまま曲にしたのだという。曲想は爽やかにして軽快。淡白な終わり方までが微笑ましく感じる曲だ。

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Children's Corner

練習も大事、勉強も大切、しかしながら子供の暮らしにおいてまずもって重要な活動は”遊び”そのもの───それこそが子供の領分。僕はそう解釈している。麻布界隈を散歩しながら幼少期の遠い記憶を思い返していた自分が居た気がする。

7/28/2011

逢坂 / Afusaka


逢坂
 
東京の神楽坂周辺に逢坂という坂がある。坂の下にある案内図のような看板の文字を読むと、「昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢よりこの坂で再び逢ったという伝説にちなみ、逢坂とよばれるようになった」とある。

逢う坂と書いて”おおさか”と読むらしい。この伝説の正確な真偽のほどは僕には分からない。東京、いや、ここでは江戸と呼ぶ方が相応しいのだろうか。中世から近世にかけて発展した江戸の街は京都に比べれば歴史の重みに差がある。ざっと800年くらい。

新興都市ともいえるから伝統というのか格式に劣る、なれば、欲しくなるのが心情だろうか?多分、逢坂の伝説はあの『小倉百人一首』や『新古今和歌集』にもある有名な歌から派生した後の創作なのだろう。平安時代の歌人による和歌はこうだ───

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸
 
Truly, this is where, Travelers who go or come, Over parting ways, Friends or strangers all must meet, The gate of Afusaka ~ Semimaru, Ogura Hyakunin Isshu

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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

江戸切絵図

僕はネット上にあった市谷牛込のいわゆる古地図を調べてみた。江戸時代末、ちょうど黒船来航から4年・安政の大獄の前年にあたる安政四年(1857)の市谷牛込の古地図を調べてみるとそこに逢坂としっかり書いてある。坂沿いにはびっしりと屋敷が並び、そこには本間鉄之助、冨松兵庫、遠田法庵、倉橋武右ェ門、、、と家主の名前が連なる。

これらは武家だろうか?それとも町衆だろうか?現在の地図と見比べて確認したところほぼ今と同じ区画に屋敷が並んでいる。現在、飯田橋と市谷の間、外堀通りの近くの逢坂。坂に沿って隣接するように建っているのが日仏学院だ。

僕は先日、たまたま演奏する機会があって日仏学院を訪れた。その時に撮った写真にこのレポートというか文章を付け足している。後から慌てて調べた事ばかりでなんとも説明的な文章の羅列になるかも知れないが・・・今回、これはこれでお許し願いたいと思う。
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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~
日仏学院

東京日仏学院───l'Institut franco-japonais de Tokyo.
明治維新、第二次大戦と時代を経て相馬男爵という人の土地となっていた場所に、昭和27年(1952)ル・コルビュジェ門下の建築家・坂倉準三によって設計され語学学校として開設された。高松宮殿下、吉田茂首相、デジャン駐日フランス大使など日仏両国の要人の臨席のもとに開校式が行われたという。

学院は当初、四角い後者と円形のホールから成るはずだったが、朝鮮戦争(1950-1953)の影響下、物価高騰の煽りを食ってしまい、坂に沿った傾斜地に校舎だけが建てられた。10年後、再び坂倉準三の手により多目的ホールをもつ新しい棟が加わり、校舎はL字型となる。その後、フィルム上映やコンサート、ダンスパーティなどが行われ、日仏学院は次第に文化活動機関としての働きも兼ね備えて現在に至ったそうだ。

ホールと映画館で行われる多様なイベント、そして図書館・メディアテークにフレンチレストランにブックストアと複合的な文化施設で、フランス文化に興味があれば一日中居ても飽きない場所だろう。緑豊かな庭も都心とは思えないほどで、とても心地良い空間だ。
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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

二重螺旋

なんでも建築の世界では”動線を分ける”という概念があるそうだ。日仏学院の建物の旧校舎側には不思議な階段がある。円筒状の塔が建物から独立して建っていて、その中に二重螺旋の構造をした階段があるのだ。一方は天窓の下で明るく、もう一方は細くて暗い。このふたつの階段は交わることなくぐるぐると上っていき別々の場所に辿り着く───まるで迷宮に迷い込むが如く。アリアドネの糸が必要だろうか・・・

先日のイベントの折には旧校舎側の教室がちょうど楽屋となっていたので、「変な階段だなあ」と思いながら何度か上り下りしたものだ。その時は詳細を知らなかった。ル・コルビュジェ…我ながら背伸びして書いてる。人間、知識が劣るならば、それが欲しくなるのが心情だろう。それはそうと、同じような階段はフランス国王が築いたシャンボール城なる所にもあるそうだ。
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Unifrance Tokyo

開校以来半世紀に渡ってこの学院を訪れた文化人は数限りない。ロラン・バルト(批評家・思想家)、ジャック・デリダ(社会学者、哲学者)、クロード・レヴィ=ストロース(社会人類学者、思想家)、、、

中でも、フランス映画の振興を目指すユニフランスという団体の東京事務所があるというから、映画関係者は流石に多いといえるだろうか。監督ではベルトラン・タヴェルニエ(ラウンド・ミッドナイト)、ジャン=ジャック・ベネックス(ベティ・ブルー)、パトリス・ルコント(仕立て屋の恋)、、、

俳優でもアンナ・カリーナ(気狂いピエロ)、シャルロット・ゲンズブール(なまいきシャルロット)、ジェラール・ドパルデュー(シラノ・ド・ベルジュラック)、ジャン・レノ(グラン・ブルー)等が講演やプロモーション活動を行ったそうである。

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~ Dimanche 19 Juin 2011 / Fête de la Musique ~

逢う坂と書いて・・・

最後に───、冒頭の逢坂の由来や歌句を調べていた時に、僕の中である曲が聴こえていた。駄洒落みたいにそれは繰り返し繰り返し頭の中を流れていた。ここに某大衆歌歌詞の漢字改変といった戯れを許してほしい・・・

辿り着いたら独りの部屋 
裸電球をつけたけど又消して
あなたの顔を思い出しながら 
終りかなと思ったら泣けてきた

今日逢坂を後にするけど 
逢坂は今日も活気に溢れ
又何処からか人が来る 
振り返るとそこは灰色の街
青春の欠片を置き忘れた街

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by gkz

5/08/2011

映画 25時 / 25th Hour

【 Obama visits Ground Zero 】

現地時間5月5日──ニューヨークを訪れた第44代
アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは市内の消防署を
訪問した後、グラウンド・ゼロにて献花を行ったという。

あの同時多発テロから約10年の歳月が過ぎた───

報道写真に目を向けると元市長のジュリアーニの姿がある。
…少しばかり老けたか?彼の目尻の辺りに刻まれた皺の数
と広くなった頭頂部からも経過した時間が分かる気がした。

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断片的な情報しか知らないが…この何日かのアメリカ
政府筋からの発表を聞く限りでは、今回の首謀者殺害
についての基盤となるエビデンス・法的根拠の曖昧さと
疑問、不可解な点などはつまるところ、国際的な司法
制度の欠如といった危うい面を露呈していると思う。

今後の報復行動の懸念とアフガニスタン撤退への影響が
心配だ。日程上もロイヤル・ウェディングへの配慮と
サミットでの政治的な意図など他にも色々とあったのだろう…
ともかくこれはこれでひとつの区切りとなれば良いのだが。


【 25th Hour 】

タイミング的に微妙だが…スパイク・リー監督による映画
『25時』について少し書いてみたいと思う。911の後
間もないニューヨークを舞台にしたスパイク・リー監督による
2002年製作の作品だ。原作はデイヴィッド・ベニオフ。
僕は東日本大震災の後しばらくヨシ・ワダさんの音楽を聴きながら
…その混濁しつつも瞑想の世界にいざなうバグパイプの
通奏音にこの映画の事を重ねてはあれこれ思ったものだ。

~"25th Hour" a film directed by Spike Lee (2002)~” 決して振り返るな 昔の人生は忘れろ
電話も手紙もダメだ 二度と戻るな
新たな人生を築き 存分に生きろ
約束されていたはずの人生を

そしていつか 真実を話してやれ。
お前が一体何者で 何処から来たのかを
すべて話してやれ そしてこう言うのだ、
皆でこうしている事が 如何に幸せか

お前たちは存在しなかったかもしれない
この人生は幻かもしれなかったのだ ”


~『25時』台詞より抜粋~


【 Music by Terence Blanchard *

冒頭、ニューヨークの夜景に二本の光が浮かび上がる。
空にまで届く大きく眩い光。始めは何のことだか分から
ないが……やがてモニュメントの意味だと理解する。
これはCGではなくて実際の映像だという。こうして
マンハッタン島に”幻”の世界貿易センタービルが
聳え立つところから、この物語は始まっている。

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バグパイプの通奏音がゆっくりと鳴り響く、そこに
アラビア風の歌唱が旋回するようにして重なる──不協和音、
そして軍楽隊の太鼓の重低音がすべてを切り裂くように轟く…
音楽担当はテレンス・ブランチャード。本来トランペッターである
彼だが、全編に渡りスコアは重々しい仕上がりとなっている。

登場人物の背後に写り込むグラウンド・ゼロの瓦礫の山、
作業員たちとショベルカーのショット、或いは犠牲となった
消防士たちのプレート類、街中に掲げられた星条旗など、
先に述べた冒頭部を含めてこの映画では実際の映像が多く
使われているのが特長だろうか…。今現在とは違った撮影
当時のニューヨークのシリアスな様子や雰囲気が分かる。

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~"The 25th Hour" is a novel by David Benioff (2001)~【 Written by David Benioff 】

主人公は収監されるのが決まっていた。
その刑期は7年。自由でいられるのはあと24時間。
刑務所でハンサムな若い白人男性を待ち受ける運命は
恥辱に満ちているという・・・彼に残された選択肢は
1 服役、 2 逃亡、 3 自殺、、、

絶望を抑えながらも主人公は愛する者たちと
淡々とした一日を過ごす。やがてパーティーの
夜が明け、彼が親友に懇願したこととは?
そして最後に父親が彼に申し出たこととは?

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最後に…一日は24時間である。過ぎれば必ずゼロ
に戻る。音楽の話をすれば、いわゆる西欧音楽の
世界は構造上、長・短調すべて合わせて24調である。

この作品タイトルの”25時”とは時間表記で
よく便宜的に使われる午前一時の事ではない。
さて、では25番目の時間の意味とは?



by gkz


2/13/2011

ブルー・ヴァレンタイン / Blue Valentine


【 at Shinjuku Golden-gai 2011 feb. 】

Blue Valentines

二月になるとその男は憂鬱になるらしい。

なんでも遠く離れた昔の恋人から、
毎年毎年、聖ヴァレンタインの日に
贈られてくる便りが原因だそうだ。

一枚のヴァレンタイン・カード───

それは靴底に入り込んだ小石の欠片のように
ひどく落ち着かない代物なのだという。
それによって忘れてかけていた筈の記憶が
鮮やかに蘇り、男は再び悪夢に襲われる。

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決まって届けられる一枚のカード───
それは男の過去に起きた一連の出来事と
数々の不逞と悪行の日々を決して忘れ
させまいとする天罰のようにも思える。

「他人をうまく騙せても私は本性を知ってる」
とまるでそう告発するかのようでもある。

喉元に引っ掛かった棘のようにいつまで
経っても男を苦しめ続ける一枚のカード、
或いはジョーカーと呼ぶべきか……

一枚のヴァレンタイン・カード───
憂鬱のカードはどこまでも、地の果てまでも
逃げても逃げてもずっと追いかけてくるのであった。

『ブルー・ヴァレンタイン / Blue Valentines 』
by Tom Waits ( 1978 ) 歌詞より上記・翻案拙文

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【at Shinjuku Golden-gai 2011 feb.】

Tom Waits

この”ブルー・ヴァレンタイン”というトム・ウェイツのアルバム。
1961年のミュージカル映画 『 ウェスト・サイド・ストーリー 』
からのカヴァー曲 ” どこかへ / Somewhere ” で幕を開ける。
言わずもがな、巨匠レナード・バーンスタインによる名曲である。

現代版ロミオとジュリエットと呼ばれるこの映画をモチーフにした
トム・ウェイツの意図は、フィルム・ノワールだと云われている。
曲名タイトルもそれを醸し出しているであろうか───、

ドラッグストアの赤い靴、ミネアポリスの女からのクリスマス・カード、
血だらけのロミオ、29ドル、ロング・サイド・オブ・ロード、
墓場からの口笛、ケンタッキー・アベニュー、かわいい小さな弾丸、
そしてブルー・ヴァレンタイン……とどうであろう。尚、1978年の
この年、トム・ウェイツは俳優としてのキャリアもスタートさせている。

by gkz

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参照資料
" Blue Valentines " from album 『 Blue Valentine 』
by Tom Waits / Asylum ( 1978 )
『 トム・ウェイツ全曲解説 』 ケン・ブルックス 著
山本安見 訳 東京書籍 1999年