5/23/2010

ジャズ専門誌「スイングジャーナル」休刊に思う


ジャズ専門誌「スイングジャーナル」休刊に思う


日本で最大のジャズ専門誌である「スイングジャーナル」(スイングジャーナル社刊)が
遂に休刊とのこと。同誌は63年もの長きに渡り日本のジャズ文化を支えてきた。
創刊は日本国憲法が施行された昭和22年。GHQもマッカーサーも日本に居り、芥川賞も
直木賞も中断していた。未だ敗戦の色濃い激動の時代に、この「スイングジャーナル」が
生まれたことは、驚きの一言だ。


70~80年代には発行部数が30万を超えていたとのことだが、ジャズ史的にはフリー・
ジャズを経て一旦否定された既成の概念に一部回帰するポスト・フリーの時代に突入していた頃。
またこの老舗ジャズ誌は、この業界では大御所と呼ばれる重厚なジャズ評論家陣達の見識や審美眼
により構築された、一種独特な存在であったとも聞く。文壇ならぬJAZZ壇…だろうか。よく言う
「マイルスがこの世を去った時にジャズも死んだから」では話が終わってしまうので、
この件から見える世相について、もう少しあれこれと考えてみたいと思う。

拙レビュー"音楽の入手方法、今昔"でも書いたが、昨今の音楽を取り巻く環境の変化は急激だ。
その一方で相も変わらず…なのが、日本人の著作法違反に対する意識の"大らかさ"だ。
結果CDが売れなくなり、音楽配信すらも陰りが見える状態は、ある意味然るべき…なのだろうか。

よく喧伝される「マス・メディアの衰退」は、音楽業界のみならず出版業界もまた然りであるが、
その大きな一因はやはりネット環境が広く一般に整いつつある事に因るものだろう。

それまでは当たり前だった紙媒体に取って代わり、知りたい情報だけを瞬時に、自分なりに
入手出来るということは、スポンサー(広告主)の不必要性を加速させた。何時の頃からか
リテラシーの必要性が叫ばれるようになり、消費者はスポンサーに阿った偏った情報と
そうではない情報を見極めるに至り、ついにはこのような事態に至った。

また、これまた拙レビュー"今年が女子JAZZ元年だって!?"でも取り上げたように
(度々宣伝してスミマセン)、今時の人々が重厚な物事よりライトな感覚を求めている事も
一因かも知れない。これはリスナーサイドのみならずプレイヤーサイドにもその風潮が
あると思う(たまに楽譜売り場をふらつく事があるが、「なんちゃってジャズ・ピアノ
の弾き方」の様なタイトルの楽譜集が多いことに少々驚いたりする)。 

多くの人にとって より多くのジャンルの音楽に親しむ為には、「なんちゃって~」のような
手軽な楽譜や「JAZZYな音楽」や、大御所プレイヤーのベスト盤は必要だろうと思う。
便利だし、第一そういうモノがなければそのジャンル(この場合はJAZZ)の本流と
出会う機会が確実に減ってしまうだろう。

しかし、時代の流れがそうであっても、全てがその流れに乗ってしまうのは少し怖い。
何をするにもその選択肢は多様であって欲しいと思うのは、自分だけだろうか?
(ここで是非、"否"と言って頂きたい…)

個人として残念ながら件のジャズ専門誌は読んだ事が無く(すみません)、またお仕着せの
権威主義的思考ややランク付けには些かの興味もない。また「ライト感覚」な物事も不得手だ。
が、それでもそれらが在って困った事は全く無かった。少し身を遠ざければ済む事だ。
もし何時の日にかそれらに興味が沸く事があれば、その時に手に取ればいいのだから。

それよりは、緩やかな全体主義の方が厄介な代物だ。今回の件により、
来るか来ないか解らない「何時か」は、完全に失われてしまった。


「時代に合わせて呼吸をする積りはない」
蓋し名言。浅川マキさんは、矢張り凄い。

text by【 電気羊 】